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大人の雑学「アフタヌーンティーとハイティーの違い」!

優雅な紅茶のひと時を楽しむ前に、ちょっとした大人の 雑学でも!

「アフタヌーンティーとハイティーの違いをご存知 だろうか」

どちらも聞いたことはあるし、どんな物だかなんとなく 想像は出来るけど、何が

違うんだろう? という方も 多いはず!

難しい話はさておいて、簡単にその違いを詳解します!

アフタヌーンティ

イギリス発祥の喫茶習慣。習慣と言っても飲食を楽しむこよりも、社交の場と

しての意味合いが大きく、食器や 食べ物、室内装飾、花、会話の内容、

マナーなど、高度な 知識が要求される。日本で言う茶道のようなものだ。

現在では、正式なアフタヌーンティーをするには相当な 敷居の高さになって

しまう為、通常は簡略化して行われる。

アフタヌーンティーでは、紅茶はもちろん、サンドイッチ などの軽食や、

スコーン、ケーキ類などのペストリーが 供される。

スイーツは理解できるが、何故サンドイッチ? という疑問を持つ人も多いだろう。

アフタヌーンティーというのは、単なるお茶の時間では なく軽食の時間でもある。

そこで2つめの疑問。何故15時過ぎに軽食を食べるのか?

夕食に差し支えるのでは? 

この疑問は、ヨーロッパの文化を知っていれば理解できる。

ヨーロッパではオペラやクラシック・コンサート、 クラシックバレーなどの

催しが盛んだが、これらが開演する のは夕方以降。

早めの夕食にするにもかなり中途半端な時間 になってしまう。そして催しが

終わった後に夕食を食べると なると夕食の時間が大変遅くなり,お腹が空いてしまう。

そのために、催しの前にアフタヌーンティーで腹ごしらえを する。

お腹が空いていては、せっかくの楽しみも楽しめなく なる。

ヨーロッパの人々は楽しみ方を知っている。

ちなみに、アフタヌーンティーを象徴するアイテムとして、

2〜3段のケーキスタンドが使われることが多いが、これは 狭いテーブルを有効活用

するために使うものであり、広い テーブルで行なうアフタヌーンティーには

ティースタンドを 使わないのが作法。

尚、アフタヌーンティーは優雅に紅茶を 楽しむ場であるため、特にドレスコードを

謳っていない場合 でも短パン、サンダルは避けるべき。

格好はスマートカジュアルが推奨。

ハイティー

ハイティーというのは、アフタヌーンティーよりもさらに遅い時間に

行う食習慣で、労働者階級・農民の生活環境 から始まったもの。

その為、上流階級の人々は自分たちのお茶の時間を絶対にハイティーと

呼ばなかった。 ハイティーはアフタヌーンティーよりもさらに遅い時間、

つまり、事実上の夕食であった為、サンドイッチなどの 軽食やお菓子類だけ

ではなく、肉料理や魚料理がメイン としても並ぶ。

ちなみに、ハイティーの(high)は、メインの大テーブル(ハイテーブル)

供されることからその名が来ている。

現在では、ハイティーもアフタヌーンティーと同じ意味 で使われることが

多いが、これにも訳がある。 それは、日本にもなじみが深いアメリカが関係する。

アメリカが独立する前はイギリスの植民地であったが、 アメリカ人は「high」の

意味を「formal」の意味と誤解して いたため、“ ハイティー=格式ある紅茶の

習慣” と勘違いしてしまい、イギリスで言うアフタヌーンティーという意味で

日常化してしまったわけだ。

そして第二次大戦後、アメリカから様々な文化が日本に 入ってくる過程で

ハイティーという言葉が日本に入り、 その後ヨーロッパからアフタヌーンティーと

いう言葉も 入り、2つの言葉が混在するようになってしまったという わけだ。

ハイティーといえば、最も有名なのがシンガポールの ハイティー。

とりわけ、シンガポールにおけるイギリス文化の象徴とも 言うべきラッフルズ

ホテルのハイティーは特に有名。

シンガポールもイギリスの植民地であったために紅茶の文化 が入ったわけだが、

広東系華人の多いシンガポールでは お菓子類はもちろん、シュウマイ、餃子などの

点心も並び、 中華風にアレンジされているのが興味深い。

更に、シンガポールの最高級ホテルの一つでもある セントレジスのアフタヌーン

ティーでは、紅茶以外に中国茶なども用意されるなど、多様化を見せている。

ちなみに、シンガポールでハイティーが始まった経緯は、 元々

シンガポールに滞在していたイギリス人女性たちが、 蒸し暑い午後の外出を

避けて優雅に紅茶を楽しんでいたこと に始まり、徐々に広がっていったこと

による。

アフタヌーンティーの歴史 ページ冒頭でイギリス発祥と書いたが、ヨーロッパ

に最初に お茶が入ってきたのが1597年、オランダ東インド会社の 前身であ

るオランダ商船による貿易だ。

尚、当時のお茶は紅茶ではなく緑茶である。 そしてイギリスにお茶が入って

きたのが17世紀。 1662年にイギリス国王チャールズ2世のもとに嫁いできた

ポルトガルの 王女キャサリンが、中国茶と砂糖を大量に 持参。

ちなみに砂糖は当時としては貴重な高級品である。

これによってイギリス王室に喫茶の習慣をもたらし、 1664年にはイギリス

東インド会社がチャールズ二世に お茶を献上。

そして1720年に東インド会社が本格的にお茶を流通させた ことによって

紅茶のブームが開花する。

つまり、紅茶を飲む習慣が始まったのは18世紀に入って からのことであり、

意外とその歴史は古くない。

階級制度が確立していた当時のイギリスにおいて、 アフタヌーン

ティーは上流階級の社交、娯楽であったわけ だが、もともとの始まりは、

1日2食だった当時のイギリスの 食事情のため、空腹を紛らわすために

紅茶と軽食を口にした のがきっかけと言われており、これが19世紀に

入ってから のこと。 その後、上流階級の女性たちが友人やお客さんを

誘って 楽しむことが流行し、徐々に形式化されていったという わけだ。

この紅茶ブーム到来によってフォートナム&メイソン、 トワイニング、

ウィッタード、H.R.ヒギンス、リプトン、 ハロッズ、ウェッジウッド

など次々と紅茶関連のブランドが 立ち上がり、イギリスの紅茶文化は

確固たる地位を確立、 現在に至っている。

ホテルでのアフタヌーンティーは優雅な雰囲気の中で 美味しいスイーツ

が食べられるので、自分へのご褒美に 最適! 中には一人5000円を超える

敷居高めの高級ホテルも有り、 3000円程で優雅なアフタヌーンティーを

楽しめるホテルも 多い。

食べきれない程のスイーツと美味しい紅茶がおかわり自由 なので、

長い時間楽しめることを考えれば最高のコスト パフォーマンスですから、

遅めのランチとしても最適です!

尚、シャンパン付きのコースはおすすめです!

満足度がまるで違い 、とにかく至福のひと時を味わえる こと間違いなし!   

Tommy

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ア・ラ・ボンヌ・フランケット A la bonne Franquette

Tommyが薦めるパリのレストラン

ア・ラ・ボンヌ・フランケット A la bonne Franquette

ア・ラ・ボンヌ・フランケットは、モンマルトルの丘の上を象徴するお店です。

4世紀以上も前に建てられたこの古い家は、創業は1890年。
19世紀にはピサロやシスレー、セザンヌ、トゥルーズ・ロートレック、

ルノワール、モネ、ゾラやゴッホなど、芸術家たちのたまり場でした。

サヴォワ地方出身のこの店の主人、パトリック・ラッシュブ氏は、

モンマルトルの村で有名だったこの店が、その名声に値するように沢山の

努力をしてきました。

昔の店の名前はラ・ガンゲットといったそうです。
ゴッホはこの店の庭をラ・ガンゲットという名の絵画に残し、

ルノワールもまた「舟遊び仲間の昼食会」という名の絵を描いています。

今から40年程前、私が学生時代にモンマルトルでオーナーと出会い、長いお付き

合いをさせて頂きましたが 現在お店は、息子さんが店を引き継ぎ、お孫さんが

店の運営をしています。

ここでは、観光客が安心して楽しめるお店です。。

お店が選ぶ材料やワインはみな上質なものばかりです。

選ばれた生産者たちは、高い品質基準を満たすように努力し ここでは

地方のおいしい特産品や、大小様々な産地のワインを味わうことができるのです。

ア・ラ・ボンヌ・フランケットの料理はボリュームたっぷり。

 

温かい宿屋の雰囲気は、時折モンマルトルの丘に上って来る歴史や絵が好きな

旅行客を喜ばせてくれます。常連たちはカンタル地方のラボリという店の

ハムやサラミ、バスク地方のブーダン、カン地方の内臓料理などがお好みです。

肉料理好きで味にうるさい人たちは、シャロレの牛肉が大好きです。

ワインに関しては、それなりの値段がする美しいラベルがずらりと

メニューに載っていますが、「ラ・キュヴェ・ドゥ・ラ・ボンヌ・

フランケット」というワインが18ユーロで愛飲されています。

ここに来たら、隣の人たちの嬉しそうな表情を見て頂ければこの店の良さが

わかります。

 

すぐ隣には、レストランの別館、ワイン・バーも存在します。

こちらは「オー・ボン・ヴァン」という店で、店内で立ち飲みするか、

小さなサント・リュステック通りに面したテラスに座って、

グラスワインのセレクションと生ハムやサラミの盛り合わせや、

チーズの盛り合わせを味わってみてください。

パリの旅行中に是非モンマルトルで印象派の世界に浸ってみては…。

A la bonne Franquette ア・ラ・ボンヌ・フランケット
住所:18 rue Saint Rustique 75018 Paris
電話:01 42 52 02 42
メトロ:12番線 Abesses
営業時間:年中無休 12時〜23時
値段:お昼のコース 前菜+メインで19ユーロ、メニュー・ボンヌ・

フランケットは27ユーロ※事前予約がお勧めです!

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無料&徒歩でめぐる、ロンドン観光スポット

無料&徒歩でめぐる、ロンドン観光スポット

ビックベンから出発! 衛兵交代を見て、コベント・ガーデン、そして大英博物館へ。

交通費なし、入場料無料でまる1日ロンドンを満喫できるプラン!

 

ビックベンの鐘の音を聞いてから歩き始めるウェストミンスター橋から見える国会議事堂とビックベン

ビックベンの鐘の音を聞いてから歩き始める  ウェストミンスター橋から見える国会議事堂

 

皆さんをロンドンの市内観光へご案内します!

とてもシンプルでスタンダードなロンドンの街歩きです。スタートは

ビッグベンを午前10時!

ロンドンを象徴するこの大時計はロンドンの国会議事堂

(ウエストミンスター宮殿)に付属する時計台です。

2009年に150歳になりました。日本の学校でよく使われている、

キーンコーンカーンコーンというチャイムはこのビックベンの鐘の

音が基になっています。

 

ロンドン・アイも1度は体験したいアトラクション

テムズ川を挟んだ対岸には新しいロンドンのランドマーク、ロンドン・

アイが見えます。

目の前のウエストミンスター橋を中ほどまで渡って振り返ると、

華麗な国会議事堂の姿が眺められます。

1066年から英国国王の戴冠式が行われている大変由緒ある重要な寺院です。

 

ウエストミンスター寺院の前を通ってバッキンガム宮殿へ

ビックベンを背にしてバッキンガム宮殿へ。お目あては衛兵交代。

始まるのは11時30分。

ここにはニュートンやダーウィンなど、教科書に出て来る歴史上の

人物が埋葬されています。

ウェストミンスター寺院英国国王の戴冠式を執り行う教会として歴史を

歩んできた由緒ある建物。1997年のダイアナ妃の葬儀がここで行われました。

気持ちのよい公園を抜けて行きます

右手にセント・ジェームスパークが広がる

ロンドンにはとてもたくさんの公園があります。今、歩いているのは

セント・ジェームスパーク、ロイヤル・パークスと呼ばれる王立公園の1つです。

ハイドパークと比べると小振りですが、手入れの行き届いた花壇や水辺の景色が

とても素敵な場所です。リスや水鳥たちもすぐそばまで近寄ってきます。

セント・ジェームス公園バッキンガム宮殿とトラファルガー広場を結ぶ

ザ・マルに隣接。たくさんの水鳥とリスが走り回る公園、まさに都会のオアシス。

 

バッキンガム宮殿と衛兵交代

エリザベス女王の公邸バッキンガム宮殿

英国王室の宮殿そして、エリザベス女王の公邸、そして執務の場所です。

王室旗が掲げられていたら女王はご在宅、不在だと英国国旗になります。

「ロンドン」イコール「赤い上着に大きな黒い帽子の兵隊さんたち」。

ちなみに、黒い帽子はクマの毛皮でできているんだそうです。

儀式は11時半から40分間くらい、11時20分頃には楽団がやってきます。

宮殿をとりまく柵のそばより、正面のビクトリア記念碑の周辺のほうが

全体が見やすいと思います。もちろん最前列で交代儀式をかぶり付き、

も悪くありませんよ。気がつくと驚くほど人が集まっていました。

みんなうれしそうです。さすがロンドン屈指の観光地ですね。

 

ザ・マルからトラファルガー広場へ。

いつもたくさんの観光客で賑わっているトラファルガー広場

バッキンガム宮殿からトラファルガー広場までをつなぐ道路、

ザ・マルを通ってトラファルガー広場へ。

ザ・マルは王室の儀式用に作られた道路です。トラファルガー広場も

ロンドン観光には外せない場所のひとつです。高さ50mの石柱に立って

いるのはネルソン提督の像。

1805年トラファルガーの海戦でフランスとスペインの連合軍を破り、

ナポレオンのイギリス征服から国を守ったネルソン提督は英国の英雄です。

廻りを囲むライオン像も観光客には大人気です。

ナショナルギャラリー

ナショナル・ギャラリーはヨーロッパ絵画の宝庫

広場の北側に建つ堂々たる建物はナショナル・ギャラリー。ヨーロッパ絵画の

素晴しいコレクションが無料で見られます。ゴッホの「ひまわり」やオランダの

レンブラント、英国のターナー、印象派画家の作品、バロックから フランドル派

までが2300点展示されています。

好きな絵とじっくり対峙できますよ。2か所あるレストランとカフェもお薦めです。

 

中華街で食事!

中華街で何か食べてみる?

ナショナル・ギャラリーの裏手にはレストラン街が広がっていてソーホーと

呼ばれるチャイナタウンがあります。

海外旅行の間に、ごはんやおしょう油味が恋しくなった時、チャイナタウンは

日本人の強い味方の気がします。

 

コベントガーデンへ。

いつでもお祭りのように賑わっているコベントガーデン

朝ごはんフルイングリッシュブレックファーストをいただいて後は、

コベント・ガーデンに足を延ばしてみては。

、英国ブランドのショップやかわいいカフェなどがたくさんあり、

ストリート・パフォーマンスも人気があります。

ここは、ジョージ・バーナード・ショー戯曲『ピグマリオン』が

原作になったMayfair lady(メイフェア・レディ)の舞台でも有名です。

コベントガーデンは、言葉がわからなくてもきっと楽しめます。

気がつくとあっと言う間に時間が過ぎてしまう、そんな場所です。

 

大英博物館の正面入口800万点収蔵されている世界一の博物館。

 

最後にご案内したい場所は大英博物館。

コベント・ガーデンから歩くと20分ちょっと。

大英博物館もロンドン観光ではずせない場所です。

あまりに広くてあまりにたくさんの展示物がありますので、ポイントや

見たいものを決めてから回りはじめないと疲れが倍増してしまうので

韓愛MAPで検討してから・心に残る大英博物館作品をお楽しみ下さい。

見どころは、古代エジプト、古代ローマ、ギリシャギャラーリは、圧巻です。

どうも、おつかれさまでした!

 

 

 

 

 

 

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古希のお祝いに「バカラのワイングラス」を戴いた!

バカラ (ガラス)

先日友人から古希のお祝いに「バカラのワイングラス」を戴いた!             

私には、もったいないほどの品だ。奥さんに見せたら、早速居間の

ガラスケースの飾り棚(キュリオキャビネット)の中で一番目立つ

ところに鎮座している。この(キュリオキャビネット)中のものは、

半分は、私のもののはずだが全て奥さんが陳列し全て彼女の宝に

なっている。

 

ちなみに、スイスのガラスのオルゴール、きれいな声でなく鳥のオルゴール、

アンティークのラリックの花瓶、カルチェの香水瓶、ベネチアングラス、

そして奥さん手作りの多くのアンティーク・ドールの中へ今回バカラが

加わった。私は、この大きなLサイズのバカラのグラスで赤ワインを

たっぷり注いで自分流にじっくり味わおうと思っていたのに…

 

ところで、バカラについて聞かれたら皆さんは、どう説明をしますか?

参考までに・・・・・・ 

バカラの紹介(※フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋)       

バカラ (Baccarat)は、フランスのクリスタルのラグジュアリーブランドでパリ

16区イエナ大通り界隈エタ=ジュニ広場にあるバカラの美術館やブティック、  

レストラン・バー等が併設されているバカラ・メゾン・パリの他、パリ8の    

フォーブール=サントノレ通り本店等の店舗があります。製造された商品のうち 

消費者の手に渡るのは6〜7割。残りは品質基準の高さゆえに破棄されてしまう

そうです。フランスの「M.O.F.」(フランス最優秀職人)を50人以上輩出し

ルイ18を皮切りにフランス王室、イギリス王室・ロシア皇室などのヨーロッパ

の王室はもちろん、モロッコ王室・タイ王室、さらに日本の皇室までも、

バカラを注文しています。

商品は、テーブルウェア(各種グラス・デキャンタ等)はもちろん、

アクセサリー・花瓶・香水瓶・置物・シャンデリアなどに及び(時に噴水を

作ったこともあった)

世界的に有名で、製品は日本・アメリカをはじめ世界中で販売されている

 

 

主なシリーズとして

アルクール1825年、アルクール公爵の注文から誕生。どっしりとした

台座を持ち、力強いフォルムが特徴。

コンコルド2001年に誕生。金彩がゴージャス感を出している。

タリランド1937年に誕生。大胆なフラットカットが特徴。

パーフェクション1933年に誕生。フランス語で「完璧」の意。

パルメ1939年に誕生。フランス大統領の別邸ランブイエ城で実際に

使われている。想像上の鳥が描かれている。

ベガ1980年に誕生。織姫星の意味を持つ。

マッセナ1980年に誕生。「勝利の申し子」と呼ばれたナポレオン時代の

フランス軍人にちなんで命名。華やかなカットが特徴的。

ローハン1855年に誕生。アシッドエッチングが施されている。

 

メゾン・バカラ

2003年秋にパリの合衆国広場付近にオープンした、バカラのギャラリー・

ミュージアム、ブティック、レストランの複合施設。子爵夫人の私邸を

改装して誕生した。157灯の巨大シャンデリアや13.5メートルのガラス

テーブルをはじめ、はじめバカラの作品が多数並び、バカラの歴史が

表されている。レストランではグラスにバカラのアルクールが使用されている。

 

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スイスのツェルマット村から学生時代の友人KimiとMarie-Helene夫妻が突然来福!

スイスのツェルマット村から学生時代の友人KimiとMarie-Helene夫妻が突然来福!

11月20日(月)会社に出社すると、朝一番の電話!

「今、福岡にいる。 出来れば会いたい」のメッセージで今日の一日が始まる。

日本滞在中、大阪から足を延ばして44年来の友人が本日、突然福岡に 来てくれた!

電話は、宿泊先のヒルトン・シーホークホテルから。

昨日、福岡に来て私を探していたらしい。 10時半に弊社で合う約束をして待つ!

40数年来の再会。懐かしさでいっぱい! 月日は、過ぎて、皆、髪に白い物が増え始めた。

時間の許す限り、博多の街を案内することになり アクロス福岡から中洲川端の商店街、

ユネスコ世界文化遺産 「櫛田神社」、博多商人屋敷や黒田藩の墓地「東長寺」、

博多の文化歴史の宝庫「聖福寺」を見学したのち、 魚処「寺岡」にて昼食。

昼時で混み合っていたが、店長が特別に 席を取ってくれ、美味しい魚料理を味わうことが出来た。

食後、友人は、唐津へ向かって旅立った。

今夜は、唐津泊まりで 明日は早朝、一路、大阪へとんぼ返り するらしい!

短い時間だったが懐かしい青春時代に戻って語らうことが 出来た。

次は、いつ会えるかわからないが お互いの健康と再会を 誓って別れた。

友人の突然のサプライズに感謝!    Tommy

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世界で最も有名な芸術家とアンボワーズ

世界で最も有名な芸術家レオナルド・ダヴィンチとアンボワーズ

フランスの庭”と称えられる美しい人口約12,000人の小さな町アンボワーズ。
純粋なフランス語を話すことで知られるトゥーレーヌ地方にある小さな町で
歴史的にも 見所が、たくさんある。 15世紀よりフランス歴代の国王が居住
したという由緒を誇る町アンボワーズ。 小高い岩山の上からロワール渓谷を
望むアンボワーズ城は、この町のシンボルとして古くから親しまれている。
河岸から見上げると、さすがにもとは中世の城砦だっただけあり、優雅かつ
重厚さを感じる。500年前、丘の上にあったこの城は、さぞかし目立つ存在で
あったことであろう。


この城の敷地内のチャペルには“世界で最も有名な芸術家”が眠っている。
イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダヴィンチである。
アンボワーズはレオナルドが晩年を過ごした町として知られており、
アンボワーズ城から400メートルほど離れた場所にはレオナルド最後の家、
クロ・リュセ城が今も当時のままの姿で残されている。フランソワ1世に
招待されてイタリアから1516年にやってきたレオナルド・ダヴィンチ、
その荷物には、後にルーヴル美術館の至宝となるモナリザ、聖アンナと聖母子、
洗礼者聖ヨハネの3作品が含まれていた。1519年5月2日に亡くなるまで
3年間をクロ・リュセ城で過ごしたが、この城とアンボワーズ城は地下道で
つながっており、フランソワ1世はこの地下道を通って度々レオナルドを訪ねて
いたといわれている。レオナルドは、彼の意志に従ってアンボワーズ城の
サン・フロランタン教会堂に葬られ、その後19世紀になって教会堂が取り
壊されると、彼の遺骨は、アンボワーズ城の聖ユベール礼拝堂に移された。



アンボワーズ城下には、レオナルド・ダヴィンチも通ったことであろう
オシャレなお店やカフェがたくさんある城下町が広がる。その中でも、
スィーツ好きの方には、お菓子屋さんPatisserie Bigot(パティスリ・ビゴ)が
お勧め。テラス席からは、ゆったりアンボワーズ城を眺める事もできる。
1913年から営業をしている歴史のあるお店である。そして、お土産探しには、
Loire et Terroirs(ロワール・エ・テロワール)がお勧め。スーパーや普通の
お土産屋さんでは手に入らない、ロワール地方の特産を手に入れる事ができる。


また、アンボワーズ城を囲むぶどう畑は、トゥーレーヌでも最も美しい畑の
一つであり、 この地方の フリント(火打ち石)混じりの粘土石灰質は、
ワインに力強さを与え良質のワインを生む。昔のワイン貯蔵庫の洞窟を改造して
作られたレストランLa Cave Aux Fouees (ラ・カーヴ・オ・フエ)は、
料理が全て薪のかまどで調理され、洞窟の中で伝統料理の各種コースを食べる
ことができる。 情緒溢れる町アンボワーズは、世界的に有名なロワールの古城群と
ワイナリー巡りへの理想的なアクセスポイントでもあり、フランスの歴史を感じ、
時をゆっくりと過ごしたい方へのお勧めのスポットである。現在でも世界的に
有名な人物が第二の故郷として別荘(ラ・ファーシェット城)をもち、年に
数か月はこの地で過ごしている。その人とは、イギリスのロックバンド、
ローリング・ストーンズのヴォーカル、ミック・ジャガーである。
この地でローリング・ストーンズのアルバムレコーディングが行われたことも
あるらしい。
パリAusterlitz駅から直通電車で2時間、Amboise駅下車。
またはパリMontparnasse駅からSt Pierre des Corps駅までTGVで1時間、
St Pierre des Corps駅で乗り換え、Amboise駅下車となる。

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ゲーテ街道

ゲーテ街道
 
フランクフルトから東、ライプツィヒに向かう道はゲーテ街道と呼ばれている。
アイゼナハ、エアフルト、アルンシュタット、ワイマルの街はいずれも
チューリンゲンと呼ばれる地域にあたりアイゼナハの南西にフランクフルトがあり、
ライプツィヒの北北東にベルリン、同じライプツィヒの東南東にドレスデンがある。 
街の位置の地図ワイマルはヴァイマルと表記される場合もあります .
1749年にフランクフルトで生まれたゲーテがライプツィヒ大学で学び、ワイマルで
活躍したことに因んで名づけられた「ゲーテ街道」ですが、1685年生まれのバッハが
多くの足跡を残しており、さらに200年ほどさかのぼる1483年生まれのルターも
主にこの地域を中心に活動しています。


1.ライプツィヒからアイゼナハへ  
ライプツィヒにある聖トーマス教会はバッハがカントール(音楽監督兼合唱指導)
を勤め、1750年に亡くなった後、現在は教会の祭壇に埋葬されている終焉の地ですが、
そのライプツィヒから西へ特急で1時間40分のところにあるアイゼナハはバッハ生誕
の街です。
アイゼナハの駅のホームには「J.S.バッハ生誕地」と記した看板があります。


まずはアイゼナハの街から。駅の外に出るとすぐ前方に古い街の門、
「ニコライ門」が見えます。駅から街の中心部へは10分とかかりません。
ニコライ門をくぐったところは広場になっていて、宗教改革を行ったマルチン・ルター
の銅像が建っています。 街の中心部、市庁前の広場にはルターが説教を行い、バッハが
洗礼を受けたという聖ゲオルグ教会があります。その裏手の路地に見える木組みの
建物が、ラテン語を学んだルターが下宿をしていた家で、ルターハウスと呼ばれています。
ルターハウスではこの街におけるルターの足跡とともに1500年代この地方の暮らしを
紹介する展示を見ることが出来ます。


ルターハウスから小さな坂を上って下りかけたところに、バッハの銅像が建っていて、
そばの建物がバッハハウスと呼ばれるバッハ一族にゆかりの家と隣接する展示館です。
菩提樹の木陰に憩うバッハ像にご挨拶してからバッハハウスの展示館に入ると
視聴覚機器を駆使した立体的な映像やブランコ型のリスニング装置でのオーディオ
再生を使ってバッハの音楽を楽しむことが出来ます。
バッハの足跡を示すさまざまな資料に加えて、当時の楽器が豊富に展示されており、
時間を決めて係の人が説明とともに古楽器を演奏してくれるのも見逃せない
パーフォーマンスです。


アイゼナハの街の背後の山にそびえるヴァルトブルク城は、アイゼナハの駅
からお城のすぐ下までバスで行くことが出来ます。
ヴァルトブルク城は世界遺産になっている名城で、1067年からの築城と
いわれています。城は下から見上げても、登って間近に見ても外観が美しい
だけでなく、数々の逸話に彩られた歴史的にも重要な山城です。
城内の案内ツアーは下の入口から入って、この地域の歴史と築城の経緯が
語られます。中世の吟遊詩人の歌合戦が行われた広間もあり、後にワグナーが
歌劇「タンホイザー」の舞台としたことはよく知られています。
さらに城一番の大広間「祝宴の間」を見て、1時間ほどのツアーが終ります。
マルチン・ルターが宗教改革で迫害を受けた時に、土地の領主の計らいでこの城の
一室にかくまわれ、そこで聖書の翻訳を行ったという事実。それは1521年から
1522年にかけて約10カ月かかったといわれています。
そのルターの部屋(ルター・シュトゥーベ)はルター関連の資料が展示された
部屋を出て渡り廊下を渡ったところにあります。
話に聞いていた木の机と椅子、悪魔が妨げに来た時にインク壷を投げつけたために
出来た壁の傷、日ごろ足置きに使っていたという大きなクジラの骨が置かれた部屋を

みて、城外に出ると城の周りはうっそうとした森に囲まれています。
隣接するホテルのテラスでアイゼナハの街や遠くに続くチューリンゲンの
森を眺めながら、この地方独特の焼きソーセージとビールを味わう幸せなひと時。  
ヴァルトブルク城の山を降りて、前述の聖ゲオルグ教会を訪れます。
教会に入るとすぐのところにバッハの銅像があります。バッハハウス前の銅像とは
違うポーズです。


この教会のマントを羽織った姿の黒光りしているバッハ像は独特で印象に残り
バッハ像の斜め後ろの壁にはプレートが掲げられていて、「1685年3月23日、
J.S.Bachがこの教会で洗礼を受けた」と記されています。
教会の祭壇前に置かれた鉢はバッハ受洗時のものだそうです。
この教会はその正式名称「新教ルター派聖ゲオルグ教会」が示すようにルター
とも大きな縁でつながっています。 ここで洗礼を受けたバッハも当然ルター派の
新教(プロテスタント)信者として教会音楽の世界に入って行ったことが容易に
伺われます。
教会の中に入って祭壇と反対側、後の上部には立派なパイプオルガンがあります。
1524年に起こった農民戦争で一度破壊された後、1560年に再建され、バッハ一族の
者が多くオルガニストを勤めて来たということですから、大バッハもこれを演奏した
ことがあると考えてよいのでしょう。
前の日に訪ねたバッハハウスの売店で求めて来た「ルターの詩によるバッハ作品集」と
いうCDのジャケットにもこのオルガンの写真があります。
ルターハウスにもリュートやギターなどの楽器が展示されていたようにルターは音楽を
好み、家族と楽しむ一方でたくさんの讃美歌を作りましたが、後にバッハが
教会カンタータを作曲する時に採り入れたものがかなりあるといわれて
います。
下の2枚の写真は聖ゲオルグ教会の内部とバッハ受洗のプレートです。
このあと、近くのチューリンゲン博物館を見て、1時間ほど市内を散策してホテルに
戻りました。


2.アルンシュタットからエアフルトへ  
アイゼナハに2泊してからエフハルトへ向かいました。アイゼナハからエアフルト
へは特急で30分足らずです。エアフルト駅のインフォメーション(案内所)で
今日の目的地、アルンシュタットへの行き方を教えてもらいました。
アルンシュタットの街の案内パンフレットも貰うことが出来たので大助かりです。
アルンシュタットへはエアフルトからローカル線(EB:エアフルト鉄道)で15分です。

アルンシュタットは青年期のバッハが18歳で街の新教会のオルガニストとして音楽家と
しての活動を開始したところです。ここの市庁舎前広場には青年バッハの像があります。

駅前に出るとタクシーで5分ほどでバッハ像の前につきます。ここのバッハ像は
「偉大な」という形容詞にぴったりの立派なものであるのに対して、若々しく
ユーモラスで、この街に3年ほどいた間にいくつかのトラブルを起こしたという、
青年バッハの荒削りな姿が伺われて微笑ましいものです。
市庁舎隣の案内所で街の地図を手に入れて、すぐ傍のバッハ教会(バッハ当時の
新教会現在名)のオルガンはバッハの赴任直前に作られ、試奏を頼まれたバッハが
その縁でオルガニストになったという由緒のあるものです。
教会の内装にマッチした綺麗なオルガンを写真に撮らせてもらいました。
教会の人はとても親切で、祭壇前のベンチにしばらくジィーと座っていると、
日本語で書かれた、教会とオルガンそしてバッハの足跡を記した説明書のコピーを
持ってきてくれました。ここのオルガンでの演奏が収録された2枚のCDがあると
いうので、それを購入して教会の外に出ました。教会の周りをひと回りしてみると
外観もどっしりした立派な教会です。ちょうどお昼の時間になりましたので、近くの
郷土料理レストランでお奨めのチューリンゲン風焼きソーセージにマッシュポテトと
ザワークラウトを食べて、時間の許すまで街を歩きました。
最後にお城の博物館でバッハ関連の展示を見ました。説明によると先ほど市庁舎前の
広場で見た青年バッハ像は1985年のバッハ生誕300年祭にお披露目されたようです。
博物館にはこのほか、この地方の生活や文化を示す展示物が豊富にありました。
この街に来た時はタクシーで旧市街地へ連れて来てもらいましたが、それほど大きな
街ではないことが分かりましたので、帰りは地図を見ながら歩いて駅に戻りました。  
再びエアフルトの駅に着いたのは午後4時過ぎでした。
エアフルトはチューリンゲン州の中心都市で古くから商業で栄えた街だということです。
その象徴がクレーマー橋で、橋の上、通りの両側に店が並んでいる珍しい造りです。
ホテルからすぐのところにあるそのクレーマー橋を渡ったところに市庁舎があり、
その前はフィッシュ・マルクト広場です。広場に面した建物の1階はレストランが
並んでいて、店の前のテラスにテーブルが置かれています。
フィッシュ・マルクトからさらに10分ほど歩くと大聖堂の前のドーム広場に出ます。
このあたりがエアフルトの中心です。
エアフルトの第2日目はホテルのそばのアンガー広場から街歩きをスタート。
アンガー広場からクレーマー橋の上流の橋を渡ってフィッシュ・マルクトへ出て、左に
曲がると大聖堂のドーム広場に着きます。ドームと呼ばれる大聖堂は正式には聖マリア・
カソリック大聖堂という名前です。もうひとつの巨大な教会、聖セベリオ教会が大聖堂の
右側に並んで建っているのはエアフルトの街の景色の中でも壮観です。ともに公開されて
いるので、中に入ってその威容を目に焼き付けました。ドーム広場には横断幕が
掲げられていて「クレーマー橋祭り」と書かれています。



さきほどの大聖堂に入るとき見かけた「グロリオサ見学ツアー」に
行って見ることにしました。グロリオサというのは大聖堂の塔の上にある大きな鐘で、
鐘を揺らして中の振子で音を出す方式の鐘の中では世界一の大きさであるといいます。
いまは古くなったため、特別の日だけ鳴らされるそうです。
直径が2m半もあるような大きな鐘で案内の人がこぶしで叩くと、「グォ〜ン」と
鈍い音がしました。大聖堂の後ろにはペータースブルグという大要塞があります。
ここへ登るとエアフルトの街が一望のもとに見渡せます。
夕食に出かけたのはホテルで教えてもらった、旧市街とは反対の街を丸く包み込む
外周道路に面したチュービンゲン料理のレストラン。ホテルからは歩いて10分も
掛らないところですが、その外周道路(リングと呼ばれています)の傍にに小さな
広場があって、何やら胸像のようなものがありJURI GAGARINと記されていました。
旧ソビエト連邦が飛ばした宇宙船に乗った、あの人類初の宇宙飛行士です。
もう一度地図をよく見ると、いま渡った外周道路には「ガガーリン通り」という
名前が付いていました。エアフルトのあるチューリンゲン州は旧東ドイツであった
ことを改めて実感しました。15年前に初めてフランクフルトからドレスデン行きの
特急でライプツィヒに向かった時、旧東ドイツに入ると景色がモノクロに変わった
ような印象を受けたのを覚えています。いまは復興が進んでおり、ドイツ国内の他の
地域と比べてもそん色ありません。

3.ワイマルからライプツィヒへ  
エアフルトに2泊してライプツィヒへ戻る途中、ワイマルへ立寄ることにしていました。
ワイマルといえば多くの方がゲーテの名を思い浮かべるのではないでしょうか。



昨年、フランクフルトで訪ねたのはゲーテの生家でした。
ワイマルで長年にわたって宰相を勤めたゲーテはこの地で1832年に亡くなっています。
エアフルトからワイマルまでは鉄道で15分の距離です。
ワイマルの駅でタクシーに乗ってゲーテハウスまで曲がりくねった道を走りゲーテハウス
の前で下車。ゲーテハウスに入館すると、電話の受話器型の音声装置を渡されますが、
日本語はないので英語を選んで、館内の部屋ごとに表示された番号を押すと説明が
流れて来ます。ワイマルの宰相として活躍したゲーテの公式な応接スペースの他、
数々の名作が生まれた書斎、図書室、家族の部屋を順に巡って行き、最後に寝室に
至ります。ここがゲーテが「もっと光を!」という有名なことばを残して生涯を
終えた部屋です。
ゲーテハウスの前の道を少し行くと市庁舎の前のマルクト広場に出ます。
ここの案内所で絵はがきになった街の地図を買って、それを見ながらゲーテと
シラー、二人の像があるという国民劇場前を目指して歩きはじめましたが、どこかで
完全に道に迷ってしまいました。
ひとに尋ねながらなんとか二人の像にたどりついて、改めて地図を見ると、かなり先まで
歩いてしまったようです。


ワイマルではこの後、シラーの住んだ家(シラーハウス)を見て、ワイマル城の
美術館を訪ねました。お城は市内を流れる小川に沿った公園に面していて、鴨の群れが
憩う自然豊かな所にあります。その公園の中にはゲーテの山荘がある筈です。
あらかじめ目を付けておいた、市庁舎前の広場に面した老舗ホテルのテラスで
ゆっくりと昼食を摂り、ゲーテハウス前まで歩いてタクシーで駅に戻りました。
ワイマルの街でもバッハに出会いました。市庁舎前に戻るために歩いて
いて通りかかったバッハの胸像の傍、反対側の家の壁に「ここに建っていた家にJ.S.Bachが
1708年〜1717年まで住み、そこで1710年にFriedemann Bachが、
1714年にPhillip Emanuel Bach(ともにバッハの息子で音楽家)が生まれた」と書いて
あるのを偶然見つけました。


ワイマルからライプツィヒへは特急で1時間と15分ほどです。
聖トーマス教会のあたりはいつも人で賑わっています。
夕方6時から聖トーマス教会で行われる音楽祭最後のプログラム「ミサ曲ロ短調」を
聴くことを楽しみに時間まで菩提樹の木陰のバッハ像と向かい合うお店に入りました。
日本風にいうとバッハ亭とでも呼べるような名前の付いたレストランのテラスに座って、
この季節が旬の白アスパラガスにハムとジャガイモが添えられたお皿を頼んで、
バッハ像に向かって乾杯し、チューリンゲンの旅を振り返りました。


 

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お城見学「ニュンフェンブルク宮殿&公園」

ニュンフェンブルク宮殿&公園

宮殿と公園の調和のとれた ヨーロッパ屈指の傑作です。
バイエルンの生ける「歴史書」であると同時に、建築と造園が絶妙な
ハーモニーで結びついているのです。
もし、子供の誕生祝いが全てこれほど美しいものなら!
バイエルン選帝侯フェルディナンド・マリアは、待望の皇太子誕生に喜び、
妃のサヴォア公アデレーデに土地を贈りました。 それは1663年のことで、
ヴィッテルスバッハ家の選帝侯妃にしてサヴォア公だったヘンリエッテ・
アデレーデは、自身のために庭園を備える夏用の小さなヴィラを建てました。
これがニュンフェンブルク宮殿の前身です。 18世紀初頭には、 ギャラリーで
接続された居住パビリオンが両側に追加され、ファサードが「フランス風」に
リフォームされて、簡素な宮殿はエレガントで広大な夏の離宮に生まれ
変わりました。

今日ニュンフェンブルク宮殿を見学すると、ある意味バイエルンの歴史を
体験することになります。
2世にも及ぶ歴史の中で、バイエルンの選帝侯や国王たちがここに
足跡を残しているからです。 完璧なバロック施設を構成する要素をご紹介
しましょう。
バーデンブルクは、暖めることができる、初めての近代「スイミングホール」
です。ロココ様式による銀青色の狩猟用離宮アマリエンブルクは、独特な
豪華さの中に、夥しいほどの繊細で感嘆に値するディテールを持ち合わせて
います。

ニュンフェンブルク宮殿の北翼には、人と自然の博物館があります。
ここでは、地球と人類の歴史をたどるタイムトラベルを体験できます。
エクスカーション ミュンヘンのホーフガルテンは、アルプス以北で最大の
ルネッサンス庭園に数えられています。 ホーフガルテンの北東部には、
直接イギリス庭園へ接続している、散歩道があります。 ミュンヘン北部、
シュライスハイム宮殿敷地内のルストハイム宮殿には、古いマイセン陶磁器の
世界的に有名なコレクションがあります。 ミュンヘンの南方に位置する、
シャッヘンの「国王の山荘」は、国王ルートヴィヒ2世が山岳部に滞在する
際の避難所として利用していたもので、アルプスガーデンが併設されています。
山荘の下には、1900年に植物園のアルプスガーデンが造られています。

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スイスからHenrry一家がご来福「その1」

スイスからHenrry一家がご来福!

今を去ること42年前イギリスB'mouthで共に学んだ仲間がスイスから来福!

スイスチューリッヒ在住「ヘンリー一家」を10/14-21迄の8日間福岡県を中心に

見処をご案内しました。

その時の写真とコメント第1部! 10/14-10/16

10月14日(金)福岡空港到着=ホテル到着後博多の夜を散策!

福岡空港到着香港エクスプレスAU163117:20と弊社訪問

IMS松浦」で新鮮なお刺身挑戦と「屋台なかちゃん」体験!

ソラリア・スカイダイニングで博多の夜景で乾杯!

10月15日(土)博多の街を観光バスでお楽しみ後、櫛田神社散策!

Tommy宅でウエルカムパーティ!

10月16日(日)「大宰府」終日観光

梅が枝餅と大宰府観光

 

風光明媚な「光明善寺の庭園」巡りと「水月亭」での昼食

210/17-10/21迄のご案内は、次ページでご紹介!

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スイスからHenrry一家がご来福「その2」

スイスからHenrry一家がご来福!

210/17-10/21迄のご案内!

その時の写真とコメント第2部!

1017日(月)柳川観光と川下り&ウナギ料理を楽しむ!

 

1018日(火)唐津&糸島ドライブ+海の幸を楽しむ!

鏡山から唐津湾の景観鑑賞!

見返りの滝見学

唐津城見学

唐津長崎荘で海鮮料理を楽しむ!

唐津くんち博物館訪問

夕暮れの「二見が裏海岸」をドライブ

 1019日(水)終日自由行動 ※キャナルシティやショッピングを楽しむ!

夕食は、田舎料理「八女本家」で日本酒と田舎料理を楽しむ。

1020日(木)湯布院で温泉を楽しみ別府地獄温泉を探訪!

金鱗湖散策と湯布院散策

湯布院食事処「八遇来」にて昼食と温泉を楽しむ!

地獄温泉巡り!

夕食は、イタリアレストラン「ミッシェル」

1021日(金)帰国日 ※12:50発福岡空港発国内線で屋久島へ。

屋久島観光後、帰国!

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