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アウグスブルク〜ネルトリンゲン観光〜ミュンヘンへの旅 

アウグスブルクから行くネルトリンゲンの旅〜ミュンヘンへ 

アウグスブルグから1時間で行けるネルトリンゲンに行ってきました。

ネルトリンゲン

「隕石がつくった街」「ゆっくりと流れる時間城壁に囲まれた小さな街」

「ロマンチック街道沿いに中世の面影を残す街」

「ネルトリンゲン」隕石がつくった街という響きに惹かれロックオン!

$╂个つくった街☆約1500万年前に巨大隕石が落下した盆地に街が築かれた!

△罎辰りと流れる時間☆聖ゲオルク教会の塔(通称:ダニエルの塔)からの

景観が圧巻!

城壁に囲まれた小さな街☆ネルトリンゲンの街を囲む城壁を歩きな1周できる!

ガイドブックにもあまり紹介されていない。因みにネルトリンゲンは漫画「進撃の巨人」

のモデルになった街ではないかと言われています。

バイエルンチケットを利用した【1day trip】がおすすめです。

ミュンヘン中央駅9:36発に乗車してこの旅で1番楽しみにしていたネルトリンゲンへ

向かいます。

ネルトリンゲンは乗換があるので、ご注意ください。  1時間半程Donauwörth駅で

下車したらホームを移動し車内で乗客の方に「ネルトリンゲンに行きますか?」と念の

ため確認!  ほとんどの方が英語が通じたので安心です!。


乗り換えもスムーズにネルトリンゲン駅に到着。

バイエルンチケットはバイエルン州内の電車や地下鉄・トラム・バスを

1日乗り放題できるチケットです。

ネルトリンゲン駅からテクテク歩いて旧市街を目指すとダイニンガー門が見えてきます。

5つある城壁の門が旧市街の入口です。

可愛らしい街並みにうきうき朝市が始まっていました。

建物の上に何かあるようです。
上空をなんか飛んでいます!
良くみたらコウノトリ!
屋根の上に留まっていますが、巣の中にもコウノトリがいる様子がわかります。

街のシンボルは、マルクト広場に隣接する1427年から1505年に建造された

ゴシック教会である聖ゲオルク教会!
聖ゲオルク教会の「ダニエル」と呼ばれる高さ90m塔。
350階段の階段を上って行くと見渡す限りの絶景!逸る気持ちを抑えて教会内から

見学します。教会の見学が終わったらお楽しみのダニエルへ.

教会から一旦外に出てわかり難い入口から上ります。
古い木の螺旋階段を350段。これが壊れそうな怖さもあってドキドキ
しながら1段1段

ゆっくりと途中 行き違う時も階段を譲り合いながら 「頑張って〜」声掛けあい

ながら ふぅ〜 ふぅ頂上に着いたらここで入場料の3€をお支払いします

苦しさの先には三角屋根の連なる景色に感動!絶景!!圧巻!!!  

ゆっくりと塔を一周しながら街全体を見渡しまし感動します!

赤茶色の屋根で埋め尽くされている旧市街の街並みは吸い込まれるほど綺麗です。

街を取り囲む城壁は1327年に建造され、1時間ほど歩いて一周することができるのです
街を囲む城壁は14世紀の建設当時の姿をほぼ完全に残しており、
中世の城壁がここまで

完全な形で残っているのは珍しいそうです。

赤茶色の屋根の建物や石畳の小路など見えるもの全てが心に残り

丸い街全体が童話の世界にすっぽり入りこんだようです。

城壁に囲まれたメルヘンな街並です。、可愛らしい建物が隙間なく

建っている途中、屋根のない城壁も通り城壁を利用したカフェなども

あり休憩することもできます。

ネルトリンゲンでは、豚が街を救ったという不思議な言い伝えが

あるそうで、街中で豚の置物を見かけました。
隕石がつくった街進撃の巨人」の舞台となった中世の街を是非

訪れてみてください。 

München Hbf (ミュンヘン中央駅)-RE(快速)-Donauwörth

(ドナウヴェルト)RB(普通)-Nördlingen (ネルトリンゲン)
※時間は2時間ぐらい(時間帯によってはIC(特急)利用になる

場合あり、ただし時間はあまり変わらない)上のRE+RB利用で26ユーロ
詳細は「DB」(ドイツ鉄道)で検索してください!

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ア・ラ・ボンヌ・フランケット A la bonne Franquette

Tommyが薦めるパリのレストラン

ア・ラ・ボンヌ・フランケット A la bonne Franquette

ア・ラ・ボンヌ・フランケットは、モンマルトルの丘の上を象徴するお店です。

4世紀以上も前に建てられたこの古い家は、創業は1890年。
19世紀にはピサロやシスレー、セザンヌ、トゥルーズ・ロートレック、

ルノワール、モネ、ゾラやゴッホなど、芸術家たちのたまり場でした。

サヴォワ地方出身のこの店の主人、パトリック・ラッシュブ氏は、

モンマルトルの村で有名だったこの店が、その名声に値するように沢山の

努力をしてきました。

昔の店の名前はラ・ガンゲットといったそうです。
ゴッホはこの店の庭をラ・ガンゲットという名の絵画に残し、

ルノワールもまた「舟遊び仲間の昼食会」という名の絵を描いています。

今から40年程前、私が学生時代にモンマルトルでオーナーと出会い、長いお付き

合いをさせて頂きましたが 現在お店は、息子さんが店を引き継ぎ、お孫さんが

店の運営をしています。

ここでは、観光客が安心して楽しめるお店です。。

お店が選ぶ材料やワインはみな上質なものばかりです。

選ばれた生産者たちは、高い品質基準を満たすように努力し ここでは

地方のおいしい特産品や、大小様々な産地のワインを味わうことができるのです。

ア・ラ・ボンヌ・フランケットの料理はボリュームたっぷり。

 

温かい宿屋の雰囲気は、時折モンマルトルの丘に上って来る歴史や絵が好きな

旅行客を喜ばせてくれます。常連たちはカンタル地方のラボリという店の

ハムやサラミ、バスク地方のブーダン、カン地方の内臓料理などがお好みです。

肉料理好きで味にうるさい人たちは、シャロレの牛肉が大好きです。

ワインに関しては、それなりの値段がする美しいラベルがずらりと

メニューに載っていますが、「ラ・キュヴェ・ドゥ・ラ・ボンヌ・

フランケット」というワインが18ユーロで愛飲されています。

ここに来たら、隣の人たちの嬉しそうな表情を見て頂ければこの店の良さが

わかります。

 

すぐ隣には、レストランの別館、ワイン・バーも存在します。

こちらは「オー・ボン・ヴァン」という店で、店内で立ち飲みするか、

小さなサント・リュステック通りに面したテラスに座って、

グラスワインのセレクションと生ハムやサラミの盛り合わせや、

チーズの盛り合わせを味わってみてください。

パリの旅行中に是非モンマルトルで印象派の世界に浸ってみては…。

A la bonne Franquette ア・ラ・ボンヌ・フランケット
住所:18 rue Saint Rustique 75018 Paris
電話:01 42 52 02 42
メトロ:12番線 Abesses
営業時間:年中無休 12時〜23時
値段:お昼のコース 前菜+メインで19ユーロ、メニュー・ボンヌ・

フランケットは27ユーロ※事前予約がお勧めです!

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世界遺産「ドイツの小さな町世界遺産レーゲンスブルグ」へ行きませんか?

世界遺産ドイツの小さい街

「レーゲンスブルグ」へ行きませんか?

レーゲンスブルグ大聖堂へはミュンヘン中央駅から電車(RE/普通列車)で1時間39分、    

電車賃は20ユーロと手ごろです。

ホームは駅のど真ん中にある電光掲示板で見つけることができます。           

電車で揺られること1時間40分のどかな雰囲気のレーゲンスブルグ駅に到着します.

レーゲンスブルグの街

小さいロッカーは24時間で2ユーロ、大きいロッカーは24時間で4ユーロです。     

お釣りが出ないのでコインを事前に用意しておきましょう。

最初は一番の目的であるレーゲンスブルグ大聖堂に徒歩で…。駅からずっと

真っ直ぐの道なので方向音痴の人でも迷うことなく行けます。

大聖堂は駅から徒歩約15分の距離にあり、途中に色々な面白い建物を見ることが

できます。

レーゲンスブルグ大聖堂はちょうど良い光の加減と過度な装飾がなく、とても

落ち着いた雰囲気です。教会の中には自由に入れるので、椅子に腰掛けて瞑想

タイム…

ドナウ川も必見

安くて美味しいインド料理屋もおすすめです。たまたまカレーが食べたくなって

入ったレーゲンスブルグの駅近くにあるインド料理屋『ガネーシャ(GANESHA)』。

ドイツに来てまでインドカレー?と言わず、騙されたと思って食べてみてください!

安くてとても美味しくて、さらに食べきれないくらいのボリューム。

なんとこれで6.8ユーロ!激安!

普通列車で帰ると2時間もかかるので、良い機会だからドイツ新幹線ICEに乗って

1時間で帰ることにしました。値段は普通列車であれば20ユーロですが、

ICEだと55ユーロになります。

駅では、しっかり電光掲示板にミュンヘンが表示されていることを確認し列車に

乗り込みます。乗るとすぐに検札のために車掌さんがやってきます。チケットを渡すと

ハンコを押して返してくれます。ICEは無料のWi-Fiも電源も使えるのでとっても快適です。

走行中に入口上部の案内板に走行速度が表示されます。

トンネル通過時は、速度が276kmでしたが、速度がぐんぐん上がり300kmで走行!

速い!!そして無事ミュンヘンに到着!

束の間の楽しいドイツの小さい村の世界遺産の旅をお勧めします。

       

ドイツ・レーゲンスブルグドナウ湖畔、石橋と大聖堂の街の解説。

バイエルン州の東に位置するレーゲンスブルグはドナウ湖畔に佇む美しい街。

2000年以上の歴史をもつこの街は、ロマネスク、バロック、ロココなどの

さまざまな建築様式の歴史的建造物が立ち並び、それらを縫うように続く

石畳等、中世の面影が色濃く残っています。

旧市街地は、2006年に世界遺産にも登録されました。

ドナウ河にかかる頑丈な石橋「シュタイネルネ・ブリュッケ」は、12世紀に

造られたドイツ最古のもの。

この橋の完成により、レーゲンスブルグは ヨーロッパの交通の中心地として

栄え、14世紀にかけて政治、経済、文化の全盛期を迎えたのです。

橋のたもとにあるレストラン「ヒストリッシュ・ヴェルストキュッヒェ」は、

石橋の建築に携わった労働者のために出来た世界最古のソーセージ屋。

中世の人々と同じように香ばしい 焼きソーセージ「ブラートヴェルスト」を

頬張り、ビールを手にすると、当時の活気に満ちた街の様子が目に浮かびます。

ガッセ(小路)を抜け大聖堂へ向かう途中、古代ローマ時代に築かれた

どっしりとした石門「ポルタ・プレトリア」を通ります。

中世の建造物の中に調和した古代の遺跡。

積み重ねられた歴史は、レーゲンスブルグの街をより奥行きのあるものにして

います。大聖堂「ドーム・ザンクト・ペーター」は、13世紀に着工し、

ロマネスク様式の聖堂に増築を重ね、250年という歳月をかけて完成。

さらに19世紀に入ってから10年の歳月をかけ、ゴシック様式の尖塔が付け

加えられました。

気の遠くなるような長い時間をかけて造られた荘厳な佇まい・・・

中に入るとひんやりしていて、崇高な空間が広がっています。

静けさの中で、色とりどりのステンドグラスが赤に青、黄と鮮やかな彩を放ち、

歴史の薫りに包まれる心地よさを感じました。

本物へのこだわりが育む伝統

19世紀以降、レーゲンスブルグは歴史の表舞台から姿を消します。

しかし、地方都市であったがゆえに大都市化の波にのまれず、戦火を避け、

ゆっくりとした歩みを続けることができたのです。

今でも中世の建造物は大切に使い続けられ、いたるところで修復作業が

行われています。修復も当時と同じ伝統的な材料を使うという、徹底した

こだわり。いつでも本物を身近に感じられるからこそ、守り続けられる伝統。

この街と人びとに脈々と受け継がれている伝統は、毎日の暮らしの中で美しく、

長く使い続けられる本物にこだわりたいというフェイラーのモノ創りの

精神と重なりました。

フェイラーを育んだ歴史と伝統を求めて訪れたレーゲンスブルグ。

石橋の上から街を見渡すと、積み重なった歴史の上に、今を生きる街の

息づかいが聞こえてきました。

古都レーゲンスブルグは、これからもドナウの流とともにゆっくりと時を

刻み続けることでしょう。

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Tommyの冒険 3.厳しくも儚い東京生活

Tommyの冒険 3.

厳しくも儚い東京生活

 

財布の中が軽くなった!さあ、明日からどうやって生活しよう。

親に金を送ってくれとは、言えない。

実家を頼ろうにも、弟と妹が大学に行く準備で両親は金の工面が大変なはず。

しかも東京に行く金銭を準備してくれたのを使い切ったのだから金の無心は

したくない。

さあ、どうする!

とりあえず、伯父に頼らず仕事を見つけるためビジネススーツに着替えて

職探しに向かった。

職業安定所、新聞広告、求人の張り紙を頼りに会社や商店を訪ねて回るが 

なかなか思っているほど良い仕事は見つからない。

朝10時から5時まで働けるところなんて都合の良い仕事がそう簡単に

見つかるわけがない。

とりあえず短時間でも働けるところを探していると 派遣で伊勢屋百貨店の

食料品コーナーわらび餅コーナーの張り紙を発見!

時間は、9:40〜18:00まで8時間ほど働いて1日500円。

面接に行ったらなんと即採用!

面接で聞かれたのは、「なぜ東京で働くのか」?「今、何をしているのか」?

「身元保証人は」?

多分、伯父の職業や住まいの威光で採用されたらしい!

自分の力で採用されたわけではないと思う。

早速、明日から来てほしいと言われ初めてわらび餅を作ることになった。

作り方は、至って簡単だが 簡単だから余計難しい!

1.鍋にわらびもち粉を入れ、少しずつ水を加えながら混ぜ合わせ、中火にかける。

2.木べらで混ぜ合わせながら煮て、トロミがついてくれば弱火にし、

更によ〜く混ぜ合わせ、半透明になったところで火を止める。

3.熱いうちに、水でぬらしたバットに流し入れ、バットごと冷水につけ、

冷めれば取り出し、水気を切る。

4.砂糖、塩少々を混ぜ合わせたきな粉の上に取り出し、食べやすい大きさに

切りながら、きな粉をまぶし、器に盛る。

5.冷蔵庫に入れると生地が白濁するので、常温で早めに美味しいうちに

販売するのが勝負の分かれ目だ。

初日は、呼び込み中心!

標準語などしゃべれないから、イチかバチかの九州弁で呼び込みを

すると意外なことに九州弁丸出しでのセールスが功を奏したらしく、あっという間に

人だかり!

九州名物と思われたのか、口上が良かったのかすごいお客さんの数!

いくら作っても次から次へと売れて行く!

1日中呼び込みで声がおかしくなるし、立ちっぱなしで足は痛いし、大変な仕事だ。

1週間ほどするとだんだん要領がわかってきて職場の仲間ともうまく付き合えそうだ!

私の自信作のわらび餅、伯父さん家族は、どう思ってくれるだろう!

わらび餅を土産に勇んで家に帰ると、いつものごとく19時を過ぎている。

また、伯母さんから「どこで何をしているの?夕刻には帰ってくる約束でしょう」と

小言を言われそうだが、今日はお土産を持って帰れる喜びでいっぱいだ。

思った通り小言でお出迎え。「でも伯父さんの帰りまでにはきちんと帰ってます」

「夜、出歩いて遊んでいるわけではありません。伊勢屋で仕事をしているんです」と

反論!

「これはお土産です!これは僕が作りました。美味しいから食べてみてください」と

言うのが精いっぱいでした。

伯母さんは、びっくりした目をして「貴方は、わらび餅を作るために東京まで来たの」 

ああっ、確かに伯母さんの言うとおりだ。何も言えず、黙って自分の部屋に戻りました。

もう反論する気になれませんでした!

その後、彼女が心配して部屋に来て少し話しました。しかしその時、私の心は決まって

いました。

好きだけでは結婚できない。相手を幸せにできる自身がなければこの話は受けるべきで

はない。

彼女がいつものように歌ってくれた歌は、いつも心に届いていたのに…
大きな窓と小さなドアーと
部屋には古い暖炉が・…

そんな家庭を彼女は、夢見ていたのかもしれない。

しかし、どうも愛しいあなたは、今どこにとなりそうだ。

小坂明子の歌が私の脳裏に焼き付いて眠れませんでした。

 

翌日、自分で今後のことを、はっきり決めました。、

東京よ、さようなら…  

明日は、東京でお世話になった人達に挨拶をして福岡へ帰ろう。

外の公衆電話から実家に電話すると父が出てくれました。

「お父さん、いろいろお世話かけましたが やっぱり博多に帰ります。

戻ってもいいですか」。

父は、「叔父さんにきちんと挨拶して帰ってきなさい。それから、もう一切、

彼女と連絡をしないように」。

この後、伯父さんが帰宅し、自分には東京の生活は、あわない事。

芽衣さんには、自分にはもったいない事、伯父さんが考えている私の将来の話は、

興味が無いことを 理由に伝えました。

伯父は、黙ってうなづきました。

 

2日後、私は、博多へ戻りました。

 

つづく

この物語小説は、史実を基にしたフィクションです。

 

この物語は、史実を基にしたフィクションですが、東京編の物語は楽しんで

いただけましたか?
この物語は、さらに続きますが3節のここまでは予告編です。
第1章「東京編3節」までで中断いたしますがこれから
第2章「就職編」を経て「海外」へと物語は展開していきます。
業務の関係上、次号の発表については今のところ未定です。
次号の、発表時期につきましては 
後日、このFacebook上でお知らせいたします。
どんな展開になるのか空想を膨らませてお待ち下さい 
       Tommy

 

 

 

 

 

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Tommyの冒険2.東京生活スタート

Tommyの冒険2.

東京生活スタート

 

「ごめんください。福岡のTommyです。誰かいませんか」!

ドアが開いて女性が顔を出してくれた。伯母さんらしい。 

「福岡のTommyです」というと中に案内してくれて客間でお茶を入れてくれた。 

まだ伯父さんは、帰ってきていないという。伯母さんとは、初めて会う。 

立ち居振る舞いがしゃんとして、お茶の入れ方一つとっても厳しそう。

どうも苦手なタイプのようだ。

伯母さんがこれからの東京生活について話してくれた。

その内容に、私は耳を疑った。

まず、養女が一緒に住んでいるとの事。

この段階ですでに疑問がむくむくと頭をもたげる。

驚いたことに、私自身も書生としてではなく養子として迎えることになっているという。

しかもあろうことか、将来二人は一緒にさせられるという。

私の父と伯父の間では、すでに取り決められていると言うのだ。

「だから、あなたは福岡に帰る必要がないのよ」。

いや、そう言われても…私の人生は、私のものではないのか?

                          

 衝撃の事実を知らされ、食事など喉が通るわけがない。

私はひたすら伯父の帰りを待った。

夕刻、養女の芽衣さんが帰宅。ちらりと見れば、なんとも聡明な雰囲気を漂わせる美女で

しかもスレンダー。

長い髪がよく似合う。まさに良家のお嬢さんである。

学校は、小さい頃から東京の名門校のエスカレーターコース。

現在は、大学で国文学を勉強中で私と3歳年下である。

夜9時頃、伯父さんが帰宅。

伯母さんに急かされて玄関へ出迎えにでる。

私は、書生見習いとして来ているのだから。お抱え運転手を見送ってから伯父さんと対面。

これまでの父とのやり取りを話してもらう。

伯父さんは、私が尊敬する男性のタイプだ。

戦前、裕仁陛下(昭和天皇)から学生時代「恩賜の金時計」を頂いたらしく

若い頃はよく勉学に励んだらしい。

戦争中も金時計を肌身離さず大事にしていたそうで兵役では首にぶら下げていたので

上官から殴られなかったと言う逸話もある!

聞くところによると学徒出陣で兵隊に駆り出され、上官からみんなビンタを

受ける羽目になったとき、上官から「時計をはずせ」と言われた。

しかし伯父が「これは陛下からいただいたものであります。

自分の命より大事なものですから外すわけにはまいりません。

他の者が陛下より下賜されたこの時計に触れることは許されません。

恐れ多くも…」と言ったところで上官が「次」と言ってスルー。

時計のおかけで何度も殴られずに済んだらしい。

 

戦後、国家公務員として内閣府で働き、現在は 宮内庁で春秋叙勲等における

勲章等の授与の栄典に関する仕事を行っている。

その伯父は、東京で結婚したが子供に恵まれず、養女を迎え今回の仕儀となった。

私の意見も聞かず、相談もなく話だけが進んでいたのである。

この日は、風呂に入って早く休んだが、全く眠れず一夜を明かした。

このまま行けば、私の人生は安泰のようだが、母はどう思っているのか

翌日、公衆電話で母に電話をかけた。

母は、「嫌だったらいつでも帰ってきていいよ」

「お父さんは、あなたのことを考えて一番いい方法だと思っているだけ。

あなたの人生だから自分の好きなように生きなさい」と言ってくれた。

でも1ヶ月だけでも頑張ってみたら…皆さんの良いところやこれから先の僕の生き方が

見えてくるかもしれないとアドバイスを受けたのでとりあえず

1ヶ月間東京生活を楽しんでみることにした。

 

伯父さん宅には、厳しいルールがあった。

朝6:30起床 庭、玄関掃除の後、朝食7:30伯父さんの公用車の出迎えと

見送りそして夕刻の出迎え。

そして自分の部屋掃除が終わると後は晩飯まで自由時間が与えられた。

この家にいる間に将来自分がやりたい目的を探すこと。

見つからなければこれから先の人生は、 伯父の指示に従うこと。

まさに究極の二者択一ライフが始まったのである。

家にいると伯母さんから「大の男が家でブラブラしていてはダメでしょう!」と

ダメ出しされる始末。

ブラブラしているつもりはないが、行く当てもなく、私は迷っていた。

一方、彼女は朝食後、大学へ…。私とは違って規則正しい生活を送っており、

きちんと決められた時間に帰宅する。

彼女が帰ってきてから、私たちは2時間程会話を楽しむ。

学校で勉強してることや趣味のたわいもない話であるが、一日の中で一番楽しい時間だ。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。

どういうつもりなのか、彼女はいつも会話の後で小坂明子の「あなた」を歌ってくれる…

しかし、毎日このまま家でゴロゴロしていては、伯母さんに叱られる。

私は、朝食後毎日東京都内を散策することにした。

 

東京には魅力的な場所が多くどこへ行こうか迷っていたが、まずは皇居見学を

思いついた。

「皇居」で東京の歴史と自然に触れたいと思い、いざ皇居へ。

皇居前広場と二重橋を眺めることが一般的な皇居観光だ。

ところが実は事前に手続きをすれば手軽に見学できることがわかった。

利用しない手はない。

皇居桔梗門前で受付後に敷地内に入り自由に散策が出来た。

これは当時の話で、現在は、見学係員が付いて団体での見学がスタートするように

なったらしい。

コースは徒歩で約2kmを75分ほどかけて巡る内容で、すべて建物の外観見学コース

では宮殿や宮内庁庁舎等だけではなく、江戸城の面影を随所で目にすることができる。

また、天気の日は、広い新宿御苑でのんびり昼寝。

智恵子は東京には空が無いと言ったが、そんなことはなく、これは実に気持ちがいい。

上野周辺では、1日中美術館、博物館、公園や池の周辺で時間を費やして夕刻帰宅。

雨の日は映画館で洋画のはしご!「ベンハー」「アラモ」「風と共に去りぬ」

「ドクトルジバゴ」など銀幕に別の世界が現れる。

毎日これの繰り返しだ。

家に帰ると叔母さんから1日何をしていたかを必ず聞かれる。

行動報告である。

計算高いことができなかった私が馬鹿正直に答えると

「Tommy。貴方は将来のことをちゃんと考えていますか?」とお叱りを受ける。

だんだん居づらくなってきた。叔父さんに東京での将来のことを相談すると、

「2・3か月ぐらい遊んでそのうち自分の道を見つけなさい。

それで見つからない時は、私の手伝いをしてくれ」

「私の手伝い?」それはいったい何なのか。

聞いてみたが「時期が来たら教える」のみでこの会話は終わった!

芽衣さんは、叔父さんに言い含められているのか 私に対して良くしてくれる。

私にも彼女には不満などあろうはずがないのだが、これからの人生を考えると答えが出ないままの

宙ぶらりんな感情もある。

だから、彼女に対しては申し訳ない気持ちで一杯だった。

そんな私の迷いを知ってか知らずか、芽衣さんは会話の最後には、決まったように小坂明子の

「あなた」を歌ってくれる…

それはともかく、毎日出歩いているので外の生活には慣れてきたが、はたと気づけば財布の中が

軽くなっていた。

カネがない!明日からどうして生活しよう!

私は、自分でも思いもしなかったところへ飛び込んだようだ。
 

(つづく)

 

【この物語小説は、実話を基にしたフィクションです】

次号は、「厳しくも儚い東京生活」!

※ご意見や間違い指摘、文章がおかしいところがあればご指導/ご指摘きください。

次回をお楽しみに…!     Tommy

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Tommyの冒険小説 1東京へ出発

このページをご覧いただきありがとうございます。
本日、2019年4月1日(月)11:30
日本政府は、新元号を「令和」と発表しました。この記念すべき日に

「Tommyの冒険」を起草します。 

この物語は、夢と希望に満ちた主人公の挫折や失敗、失恋、平凡な

生活を紹介しています。
物語は、1小説毎にほぼまとめていますが、読者の方には、是非とも、

ご忌憚のないご意見を宜しくお願いします。
4月1日から月1回のゆっくりペースで掲載します。

 

「Tommyの冒険」小説1
私の名前は、Richard de Tommy。
フランス人でもイギリス人でもない。列記とした日本人であるがこの

文面の中では、Tommyで紹介させていただく。
皆さんお気づきと思うが名前の間にdeが入っている!
Duの意味するところは、後日お話しよう。

1.東京へ出発

思えば40年以上前、私が大学生の時(当時21歳)、父親から東京

行きを命じられる。
東京の伯父の家へ「書生として行って来い。気が向けば、そのまま

ずーといていいぞ」!
手元には、とりあえず2ヶ月分5万円が渡され、何も考えず遊び気分で

列車に飛び乗った。(現在の貨幣価値で35万円程度と思われる)
ちなみに当時の初任給は29,800円位で、市電が20円、うどんが30円、

映画が70円だったのを覚えている。
特急「つばめ」は、博多駅を夜発車。寝台車で寝て翌日朝東京駅に

到着。はじめての東京だ。

東京駅は、辰野金吾と葛西萬司が設計し、埼玉県深谷市から鉄道輸送

された瓦と鉄筋造り、3階建て総建坪9,545m2・長さ330mの豪壮華麗な

洋式建築である。

1914年の開業で第1次世界大戦の開戦の年でもあり、中国青島周辺の

ドイツ租借地を占領した陸軍司令官神尾光臣中将が凱旋し、皇居に

参内するイベントに合わせて開業を行った。

アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという

俗説があるが 誠に素晴らしい日本を代表する駅である。

はじめての東京。いま日本のど真ん中にいるのだ。
皇居や丸之内、銀座をちょっぴり散策し右も左もわからず、

迷いながらも とりあえず山手線で新宿駅まで行って見る。

新宿駅に昼頃到着。よく考えたら昨晩から何も食べていない。 
空腹の中、新宿のお店通りを歩いたがおしゃれな店は、料金が私の

財布と合わない。

暫く歩くとドヤ街らしき所で飯屋を発見!【天丼70 円】表の看板に

つられて店内に入ると床は汚く躊躇していると、でっぷりした

おばさんからご注文の声が…小さい声で[天丼1つください」周りを

見回していると天丼が運ばれてきて椀の蓋を開けてびっくり!
私がイメージしてる天丼では、無い!
お汁がかかったイワシの天ぷらが、ご飯の上に乗っているだけ!

これは私が思う天丼ではない。
恐る恐る、「これ天丼ですか」と聞いてみると、怒った顔で

「うちの天丼はイワシ天」と言われ、渋渋少し食べて店を後にした。
途中、デパートの食料品売り場でパンとミルクを購入し 食べながら

西大久保の公務員宿舎へ向かう。途中、迷子になりかけながら、

やっと夕刻伯父宅に到着。これから東京での書生の仕事が始まるのだ!

公務員社宅にしては、小奇麗な屋敷だ。
かわいい小庭を抜け玄関のチャイムを鳴らす。
「ごめんください。福岡のTommyです。誰かいませんか」

つづく

 

この物語小説は、史実を基にしたフィクションです。

次号は、東京生活スタート

※ご意見や間違い指摘、文章がおかしいところがあればご指導/

ご指摘きください。次回をお楽しみに…!     Tommy

 

画像に含まれている可能性があるもの:屋外
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グリンツィング(Grinzing)観光客が集う、古き正統派ホイリゲ街

グリンツィング(Grinzing)観光客が集う、古き正統派ホイリゲ街

オーストリアで最も有名なホイリゲ村です。

ウィーン中心部から訪れると、かなり郊外の方に行きますし時間も

かかりますが、ここはウィーン市内です。

ホイリゲ村ではなくホイリゲ街です。
ホイリゲは路面電車のグリンツィング駅(Grinzing
)を中心に東西に

軒を並べていましたが、現在は団体客を多く収容できる大きなホイリゲが

点在するだけです。夕食時は団体の観光客で各ホイリゲはいっぱいと

なります。日本からのツアーで行く場合も、オプショナル・ツアーなどで

ホイリゲを頼むとほぼ間違いなくグリンツィングに行くことになります。

殆どのホイリゲはシュランメル音楽の楽士を入れており、それ目当ての

観光客も多くなります。

グリンツィングも昔ながらの葡萄農家が家族で経営するホイリゲも皆無と

いう訳ではないのですが、自家製ワインではなく買い付けたワインを

飲ませるホイリゲ風レストランが多くなっています。

大きなホイリゲは全てホイリゲ風レストランというわけでもなく、

ワイナリー経営の自家製ワインを飲ませてくれる店もあります

近年は団体客を収容できない小さなホイリゲの閉店が相次いでいます。
グリンツィングは観光客相手のホイリゲ街というイメージが強いですが、

実際は地元の人達を常連とする昔ながらの家族経営のホイリゲも少なく

ありませんでした。ところが近年になり、地元の人達や小グループの

観光客の足が遠のいてしまいました。

その為に 経営の苦しい小さな店の閉店が多くなっているのです。

ウィーン市も事の深刻さに  ようやく気が付いたようで、

景観条例のようなものをつくり、昔ながらのホイリゲ街の街並みを

守ろうとしています。    

但し、その景観条例も廃業したホイリゲの後に入るのはイタリアン

レストランやビア・バーで、ホイリゲの減少に歯止めをかける役割は

果たしていません。ここはウィーン市を一望できるカーレンベルク

(Kahlenberg)への入口でもあります。カーレンベルクの中腹で、

バス(38A番)が走る道沿いの2軒のホイリゲもグリンツィングに

所属しています。

路面電車の駅から少し山の方にある教会裏手の墓地には、音楽家

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)のお墓があります。

ホイリゲ

多くのホイリゲでは自家製ワインの量を調整する為休業期間

設けています。
ここで紹介するホイリゲを利用する場合は、必ず各ホイリゲの

サイトまたは地域のサイトで営業日を確認してください。

Zum Martin Sepp(ツム・マルティン・セップ)

Weinguter Reinprecht(ラインプレヒト)

Heuriger Hans Maly KG(マリー)

Weinbau Franz and Helga Rascher(ラッシャー)

Gerstners Landhaus(ラントハウス)

行き方
ウィーン中心部から行く方法は2つあります。
地下鉄2番線のシュッテントーア・ウニバーステート

(Schttentor-Universität)駅に隣接する路面電車のターミナル、

シュッテントーア(Schottentorから路面電車38番グリンツィング

(Grinzing)行きに乗り、終点のグリンツィングで降りる。
地下鉄4番線で終点のハイリゲンシュタット(Heiligenstadt

まで行き、市バス38A番カーレンベルク(Kahlenberg)行きに乗り、

グリンツィングで降りる。
時間的には後者の方法が早いです。個人的には、ウィーンの街を

見ながらゆっくりと坂道を上っていく,前者の方法が好きです。

特に帰りは必ず前者の方法で帰ってきます。

夕暮れ時のウィーンの車窓は最高です。

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大人の雑学「アフタヌーンティーとハイティーの違い」!

優雅な紅茶のひと時を楽しむ前に、ちょっとした大人の 雑学でも!

「アフタヌーンティーとハイティーの違いをご存知 だろうか」

どちらも聞いたことはあるし、どんな物だかなんとなく 想像は出来るけど、何が

違うんだろう? という方も 多いはず!

難しい話はさておいて、簡単にその違いを詳解します!

アフタヌーンティ

イギリス発祥の喫茶習慣。習慣と言っても飲食を楽しむこよりも、社交の場と

しての意味合いが大きく、食器や 食べ物、室内装飾、花、会話の内容、

マナーなど、高度な 知識が要求される。日本で言う茶道のようなものだ。

現在では、正式なアフタヌーンティーをするには相当な 敷居の高さになって

しまう為、通常は簡略化して行われる。

アフタヌーンティーでは、紅茶はもちろん、サンドイッチ などの軽食や、

スコーン、ケーキ類などのペストリーが 供される。

スイーツは理解できるが、何故サンドイッチ? という疑問を持つ人も多いだろう。

アフタヌーンティーというのは、単なるお茶の時間では なく軽食の時間でもある。

そこで2つめの疑問。何故15時過ぎに軽食を食べるのか?

夕食に差し支えるのでは? 

この疑問は、ヨーロッパの文化を知っていれば理解できる。

ヨーロッパではオペラやクラシック・コンサート、 クラシックバレーなどの

催しが盛んだが、これらが開演する のは夕方以降。

早めの夕食にするにもかなり中途半端な時間 になってしまう。そして催しが

終わった後に夕食を食べると なると夕食の時間が大変遅くなり,お腹が空いてしまう。

そのために、催しの前にアフタヌーンティーで腹ごしらえを する。

お腹が空いていては、せっかくの楽しみも楽しめなく なる。

ヨーロッパの人々は楽しみ方を知っている。

ちなみに、アフタヌーンティーを象徴するアイテムとして、

2〜3段のケーキスタンドが使われることが多いが、これは 狭いテーブルを有効活用

するために使うものであり、広い テーブルで行なうアフタヌーンティーには

ティースタンドを 使わないのが作法。

尚、アフタヌーンティーは優雅に紅茶を 楽しむ場であるため、特にドレスコードを

謳っていない場合 でも短パン、サンダルは避けるべき。

格好はスマートカジュアルが推奨。

ハイティー

ハイティーというのは、アフタヌーンティーよりもさらに遅い時間に

行う食習慣で、労働者階級・農民の生活環境 から始まったもの。

その為、上流階級の人々は自分たちのお茶の時間を絶対にハイティーと

呼ばなかった。 ハイティーはアフタヌーンティーよりもさらに遅い時間、

つまり、事実上の夕食であった為、サンドイッチなどの 軽食やお菓子類だけ

ではなく、肉料理や魚料理がメイン としても並ぶ。

ちなみに、ハイティーの(high)は、メインの大テーブル(ハイテーブル)

供されることからその名が来ている。

現在では、ハイティーもアフタヌーンティーと同じ意味 で使われることが

多いが、これにも訳がある。 それは、日本にもなじみが深いアメリカが関係する。

アメリカが独立する前はイギリスの植民地であったが、 アメリカ人は「high」の

意味を「formal」の意味と誤解して いたため、“ ハイティー=格式ある紅茶の

習慣” と勘違いしてしまい、イギリスで言うアフタヌーンティーという意味で

日常化してしまったわけだ。

そして第二次大戦後、アメリカから様々な文化が日本に 入ってくる過程で

ハイティーという言葉が日本に入り、 その後ヨーロッパからアフタヌーンティーと

いう言葉も 入り、2つの言葉が混在するようになってしまったという わけだ。

ハイティーといえば、最も有名なのがシンガポールの ハイティー。

とりわけ、シンガポールにおけるイギリス文化の象徴とも 言うべきラッフルズ

ホテルのハイティーは特に有名。

シンガポールもイギリスの植民地であったために紅茶の文化 が入ったわけだが、

広東系華人の多いシンガポールでは お菓子類はもちろん、シュウマイ、餃子などの

点心も並び、 中華風にアレンジされているのが興味深い。

更に、シンガポールの最高級ホテルの一つでもある セントレジスのアフタヌーン

ティーでは、紅茶以外に中国茶なども用意されるなど、多様化を見せている。

ちなみに、シンガポールでハイティーが始まった経緯は、 元々

シンガポールに滞在していたイギリス人女性たちが、 蒸し暑い午後の外出を

避けて優雅に紅茶を楽しんでいたこと に始まり、徐々に広がっていったこと

による。

アフタヌーンティーの歴史 ページ冒頭でイギリス発祥と書いたが、ヨーロッパ

に最初に お茶が入ってきたのが1597年、オランダ東インド会社の 前身であ

るオランダ商船による貿易だ。

尚、当時のお茶は紅茶ではなく緑茶である。 そしてイギリスにお茶が入って

きたのが17世紀。 1662年にイギリス国王チャールズ2世のもとに嫁いできた

ポルトガルの 王女キャサリンが、中国茶と砂糖を大量に 持参。

ちなみに砂糖は当時としては貴重な高級品である。

これによってイギリス王室に喫茶の習慣をもたらし、 1664年にはイギリス

東インド会社がチャールズ二世に お茶を献上。

そして1720年に東インド会社が本格的にお茶を流通させた ことによって

紅茶のブームが開花する。

つまり、紅茶を飲む習慣が始まったのは18世紀に入って からのことであり、

意外とその歴史は古くない。

階級制度が確立していた当時のイギリスにおいて、 アフタヌーン

ティーは上流階級の社交、娯楽であったわけ だが、もともとの始まりは、

1日2食だった当時のイギリスの 食事情のため、空腹を紛らわすために

紅茶と軽食を口にした のがきっかけと言われており、これが19世紀に

入ってから のこと。 その後、上流階級の女性たちが友人やお客さんを

誘って 楽しむことが流行し、徐々に形式化されていったという わけだ。

この紅茶ブーム到来によってフォートナム&メイソン、 トワイニング、

ウィッタード、H.R.ヒギンス、リプトン、 ハロッズ、ウェッジウッド

など次々と紅茶関連のブランドが 立ち上がり、イギリスの紅茶文化は

確固たる地位を確立、 現在に至っている。

ホテルでのアフタヌーンティーは優雅な雰囲気の中で 美味しいスイーツ

が食べられるので、自分へのご褒美に 最適! 中には一人5000円を超える

敷居高めの高級ホテルも有り、 3000円程で優雅なアフタヌーンティーを

楽しめるホテルも 多い。

食べきれない程のスイーツと美味しい紅茶がおかわり自由 なので、

長い時間楽しめることを考えれば最高のコスト パフォーマンスですから、

遅めのランチとしても最適です!

尚、シャンパン付きのコースはおすすめです!

満足度がまるで違い 、とにかく至福のひと時を味わえる こと間違いなし!   

Tommy

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無料&徒歩でめぐる、ロンドン観光スポット

無料&徒歩でめぐる、ロンドン観光スポット

ビックベンから出発! 衛兵交代を見て、コベント・ガーデン、そして大英博物館へ。

交通費なし、入場料無料でまる1日ロンドンを満喫できるプラン!

 

ビックベンの鐘の音を聞いてから歩き始めるウェストミンスター橋から見える国会議事堂とビックベン

ビックベンの鐘の音を聞いてから歩き始める  ウェストミンスター橋から見える国会議事堂

 

皆さんをロンドンの市内観光へご案内します!

とてもシンプルでスタンダードなロンドンの街歩きです。スタートは

ビッグベンを午前10時!

ロンドンを象徴するこの大時計はロンドンの国会議事堂

(ウエストミンスター宮殿)に付属する時計台です。

2009年に150歳になりました。日本の学校でよく使われている、

キーンコーンカーンコーンというチャイムはこのビックベンの鐘の

音が基になっています。

 

ロンドン・アイも1度は体験したいアトラクション

テムズ川を挟んだ対岸には新しいロンドンのランドマーク、ロンドン・

アイが見えます。

目の前のウエストミンスター橋を中ほどまで渡って振り返ると、

華麗な国会議事堂の姿が眺められます。

1066年から英国国王の戴冠式が行われている大変由緒ある重要な寺院です。

 

ウエストミンスター寺院の前を通ってバッキンガム宮殿へ

ビックベンを背にしてバッキンガム宮殿へ。お目あては衛兵交代。

始まるのは11時30分。

ここにはニュートンやダーウィンなど、教科書に出て来る歴史上の

人物が埋葬されています。

ウェストミンスター寺院英国国王の戴冠式を執り行う教会として歴史を

歩んできた由緒ある建物。1997年のダイアナ妃の葬儀がここで行われました。

気持ちのよい公園を抜けて行きます

右手にセント・ジェームスパークが広がる

ロンドンにはとてもたくさんの公園があります。今、歩いているのは

セント・ジェームスパーク、ロイヤル・パークスと呼ばれる王立公園の1つです。

ハイドパークと比べると小振りですが、手入れの行き届いた花壇や水辺の景色が

とても素敵な場所です。リスや水鳥たちもすぐそばまで近寄ってきます。

セント・ジェームス公園バッキンガム宮殿とトラファルガー広場を結ぶ

ザ・マルに隣接。たくさんの水鳥とリスが走り回る公園、まさに都会のオアシス。

 

バッキンガム宮殿と衛兵交代

エリザベス女王の公邸バッキンガム宮殿

英国王室の宮殿そして、エリザベス女王の公邸、そして執務の場所です。

王室旗が掲げられていたら女王はご在宅、不在だと英国国旗になります。

「ロンドン」イコール「赤い上着に大きな黒い帽子の兵隊さんたち」。

ちなみに、黒い帽子はクマの毛皮でできているんだそうです。

儀式は11時半から40分間くらい、11時20分頃には楽団がやってきます。

宮殿をとりまく柵のそばより、正面のビクトリア記念碑の周辺のほうが

全体が見やすいと思います。もちろん最前列で交代儀式をかぶり付き、

も悪くありませんよ。気がつくと驚くほど人が集まっていました。

みんなうれしそうです。さすがロンドン屈指の観光地ですね。

 

ザ・マルからトラファルガー広場へ。

いつもたくさんの観光客で賑わっているトラファルガー広場

バッキンガム宮殿からトラファルガー広場までをつなぐ道路、

ザ・マルを通ってトラファルガー広場へ。

ザ・マルは王室の儀式用に作られた道路です。トラファルガー広場も

ロンドン観光には外せない場所のひとつです。高さ50mの石柱に立って

いるのはネルソン提督の像。

1805年トラファルガーの海戦でフランスとスペインの連合軍を破り、

ナポレオンのイギリス征服から国を守ったネルソン提督は英国の英雄です。

廻りを囲むライオン像も観光客には大人気です。

ナショナルギャラリー

ナショナル・ギャラリーはヨーロッパ絵画の宝庫

広場の北側に建つ堂々たる建物はナショナル・ギャラリー。ヨーロッパ絵画の

素晴しいコレクションが無料で見られます。ゴッホの「ひまわり」やオランダの

レンブラント、英国のターナー、印象派画家の作品、バロックから フランドル派

までが2300点展示されています。

好きな絵とじっくり対峙できますよ。2か所あるレストランとカフェもお薦めです。

 

中華街で食事!

中華街で何か食べてみる?

ナショナル・ギャラリーの裏手にはレストラン街が広がっていてソーホーと

呼ばれるチャイナタウンがあります。

海外旅行の間に、ごはんやおしょう油味が恋しくなった時、チャイナタウンは

日本人の強い味方の気がします。

 

コベントガーデンへ。

いつでもお祭りのように賑わっているコベントガーデン

朝ごはんフルイングリッシュブレックファーストをいただいて後は、

コベント・ガーデンに足を延ばしてみては。

、英国ブランドのショップやかわいいカフェなどがたくさんあり、

ストリート・パフォーマンスも人気があります。

ここは、ジョージ・バーナード・ショー戯曲『ピグマリオン』が

原作になったMayfair lady(メイフェア・レディ)の舞台でも有名です。

コベントガーデンは、言葉がわからなくてもきっと楽しめます。

気がつくとあっと言う間に時間が過ぎてしまう、そんな場所です。

 

大英博物館の正面入口800万点収蔵されている世界一の博物館。

 

最後にご案内したい場所は大英博物館。

コベント・ガーデンから歩くと20分ちょっと。

大英博物館もロンドン観光ではずせない場所です。

あまりに広くてあまりにたくさんの展示物がありますので、ポイントや

見たいものを決めてから回りはじめないと疲れが倍増してしまうので

韓愛MAPで検討してから・心に残る大英博物館作品をお楽しみ下さい。

見どころは、古代エジプト、古代ローマ、ギリシャギャラーリは、圧巻です。

どうも、おつかれさまでした!

 

 

 

 

 

 

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古希のお祝いに「バカラのワイングラス」を戴いた!

バカラ (ガラス)

先日友人から古希のお祝いに「バカラのワイングラス」を戴いた!             

私には、もったいないほどの品だ。奥さんに見せたら、早速居間の

ガラスケースの飾り棚(キュリオキャビネット)の中で一番目立つ

ところに鎮座している。この(キュリオキャビネット)中のものは、

半分は、私のもののはずだが全て奥さんが陳列し全て彼女の宝に

なっている。

 

ちなみに、スイスのガラスのオルゴール、きれいな声でなく鳥のオルゴール、

アンティークのラリックの花瓶、カルチェの香水瓶、ベネチアングラス、

そして奥さん手作りの多くのアンティーク・ドールの中へ今回バカラが

加わった。私は、この大きなLサイズのバカラのグラスで赤ワインを

たっぷり注いで自分流にじっくり味わおうと思っていたのに…

 

ところで、バカラについて聞かれたら皆さんは、どう説明をしますか?

参考までに・・・・・・ 

バカラの紹介(※フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋)       

バカラ (Baccarat)は、フランスのクリスタルのラグジュアリーブランドでパリ

16区イエナ大通り界隈エタ=ジュニ広場にあるバカラの美術館やブティック、  

レストラン・バー等が併設されているバカラ・メゾン・パリの他、パリ8の    

フォーブール=サントノレ通り本店等の店舗があります。製造された商品のうち 

消費者の手に渡るのは6〜7割。残りは品質基準の高さゆえに破棄されてしまう

そうです。フランスの「M.O.F.」(フランス最優秀職人)を50人以上輩出し

ルイ18を皮切りにフランス王室、イギリス王室・ロシア皇室などのヨーロッパ

の王室はもちろん、モロッコ王室・タイ王室、さらに日本の皇室までも、

バカラを注文しています。

商品は、テーブルウェア(各種グラス・デキャンタ等)はもちろん、

アクセサリー・花瓶・香水瓶・置物・シャンデリアなどに及び(時に噴水を

作ったこともあった)

世界的に有名で、製品は日本・アメリカをはじめ世界中で販売されている

 

 

主なシリーズとして

アルクール1825年、アルクール公爵の注文から誕生。どっしりとした

台座を持ち、力強いフォルムが特徴。

コンコルド2001年に誕生。金彩がゴージャス感を出している。

タリランド1937年に誕生。大胆なフラットカットが特徴。

パーフェクション1933年に誕生。フランス語で「完璧」の意。

パルメ1939年に誕生。フランス大統領の別邸ランブイエ城で実際に

使われている。想像上の鳥が描かれている。

ベガ1980年に誕生。織姫星の意味を持つ。

マッセナ1980年に誕生。「勝利の申し子」と呼ばれたナポレオン時代の

フランス軍人にちなんで命名。華やかなカットが特徴的。

ローハン1855年に誕生。アシッドエッチングが施されている。

 

メゾン・バカラ

2003年秋にパリの合衆国広場付近にオープンした、バカラのギャラリー・

ミュージアム、ブティック、レストランの複合施設。子爵夫人の私邸を

改装して誕生した。157灯の巨大シャンデリアや13.5メートルのガラス

テーブルをはじめ、はじめバカラの作品が多数並び、バカラの歴史が

表されている。レストランではグラスにバカラのアルクールが使用されている。

 

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