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ゲーテ街道

ゲーテ街道
 
フランクフルトから東、ライプツィヒに向かう道はゲーテ街道と呼ばれている。
アイゼナハ、エアフルト、アルンシュタット、ワイマルの街はいずれも
チューリンゲンと呼ばれる地域にあたりアイゼナハの南西にフランクフルトがあり、
ライプツィヒの北北東にベルリン、同じライプツィヒの東南東にドレスデンがある。 
街の位置の地図ワイマルはヴァイマルと表記される場合もあります .
1749年にフランクフルトで生まれたゲーテがライプツィヒ大学で学び、ワイマルで
活躍したことに因んで名づけられた「ゲーテ街道」ですが、1685年生まれのバッハが
多くの足跡を残しており、さらに200年ほどさかのぼる1483年生まれのルターも
主にこの地域を中心に活動しています。


1.ライプツィヒからアイゼナハへ  
ライプツィヒにある聖トーマス教会はバッハがカントール(音楽監督兼合唱指導)
を勤め、1750年に亡くなった後、現在は教会の祭壇に埋葬されている終焉の地ですが、
そのライプツィヒから西へ特急で1時間40分のところにあるアイゼナハはバッハ生誕
の街です。
アイゼナハの駅のホームには「J.S.バッハ生誕地」と記した看板があります。


まずはアイゼナハの街から。駅の外に出るとすぐ前方に古い街の門、
「ニコライ門」が見えます。駅から街の中心部へは10分とかかりません。
ニコライ門をくぐったところは広場になっていて、宗教改革を行ったマルチン・ルター
の銅像が建っています。 街の中心部、市庁前の広場にはルターが説教を行い、バッハが
洗礼を受けたという聖ゲオルグ教会があります。その裏手の路地に見える木組みの
建物が、ラテン語を学んだルターが下宿をしていた家で、ルターハウスと呼ばれています。
ルターハウスではこの街におけるルターの足跡とともに1500年代この地方の暮らしを
紹介する展示を見ることが出来ます。


ルターハウスから小さな坂を上って下りかけたところに、バッハの銅像が建っていて、
そばの建物がバッハハウスと呼ばれるバッハ一族にゆかりの家と隣接する展示館です。
菩提樹の木陰に憩うバッハ像にご挨拶してからバッハハウスの展示館に入ると
視聴覚機器を駆使した立体的な映像やブランコ型のリスニング装置でのオーディオ
再生を使ってバッハの音楽を楽しむことが出来ます。
バッハの足跡を示すさまざまな資料に加えて、当時の楽器が豊富に展示されており、
時間を決めて係の人が説明とともに古楽器を演奏してくれるのも見逃せない
パーフォーマンスです。


アイゼナハの街の背後の山にそびえるヴァルトブルク城は、アイゼナハの駅
からお城のすぐ下までバスで行くことが出来ます。
ヴァルトブルク城は世界遺産になっている名城で、1067年からの築城と
いわれています。城は下から見上げても、登って間近に見ても外観が美しい
だけでなく、数々の逸話に彩られた歴史的にも重要な山城です。
城内の案内ツアーは下の入口から入って、この地域の歴史と築城の経緯が
語られます。中世の吟遊詩人の歌合戦が行われた広間もあり、後にワグナーが
歌劇「タンホイザー」の舞台としたことはよく知られています。
さらに城一番の大広間「祝宴の間」を見て、1時間ほどのツアーが終ります。
マルチン・ルターが宗教改革で迫害を受けた時に、土地の領主の計らいでこの城の
一室にかくまわれ、そこで聖書の翻訳を行ったという事実。それは1521年から
1522年にかけて約10カ月かかったといわれています。
そのルターの部屋(ルター・シュトゥーベ)はルター関連の資料が展示された
部屋を出て渡り廊下を渡ったところにあります。
話に聞いていた木の机と椅子、悪魔が妨げに来た時にインク壷を投げつけたために
出来た壁の傷、日ごろ足置きに使っていたという大きなクジラの骨が置かれた部屋を

みて、城外に出ると城の周りはうっそうとした森に囲まれています。
隣接するホテルのテラスでアイゼナハの街や遠くに続くチューリンゲンの
森を眺めながら、この地方独特の焼きソーセージとビールを味わう幸せなひと時。  
ヴァルトブルク城の山を降りて、前述の聖ゲオルグ教会を訪れます。
教会に入るとすぐのところにバッハの銅像があります。バッハハウス前の銅像とは
違うポーズです。


この教会のマントを羽織った姿の黒光りしているバッハ像は独特で印象に残り
バッハ像の斜め後ろの壁にはプレートが掲げられていて、「1685年3月23日、
J.S.Bachがこの教会で洗礼を受けた」と記されています。
教会の祭壇前に置かれた鉢はバッハ受洗時のものだそうです。
この教会はその正式名称「新教ルター派聖ゲオルグ教会」が示すようにルター
とも大きな縁でつながっています。 ここで洗礼を受けたバッハも当然ルター派の
新教(プロテスタント)信者として教会音楽の世界に入って行ったことが容易に
伺われます。
教会の中に入って祭壇と反対側、後の上部には立派なパイプオルガンがあります。
1524年に起こった農民戦争で一度破壊された後、1560年に再建され、バッハ一族の
者が多くオルガニストを勤めて来たということですから、大バッハもこれを演奏した
ことがあると考えてよいのでしょう。
前の日に訪ねたバッハハウスの売店で求めて来た「ルターの詩によるバッハ作品集」と
いうCDのジャケットにもこのオルガンの写真があります。
ルターハウスにもリュートやギターなどの楽器が展示されていたようにルターは音楽を
好み、家族と楽しむ一方でたくさんの讃美歌を作りましたが、後にバッハが
教会カンタータを作曲する時に採り入れたものがかなりあるといわれて
います。
下の2枚の写真は聖ゲオルグ教会の内部とバッハ受洗のプレートです。
このあと、近くのチューリンゲン博物館を見て、1時間ほど市内を散策してホテルに
戻りました。


2.アルンシュタットからエアフルトへ  
アイゼナハに2泊してからエフハルトへ向かいました。アイゼナハからエアフルト
へは特急で30分足らずです。エアフルト駅のインフォメーション(案内所)で
今日の目的地、アルンシュタットへの行き方を教えてもらいました。
アルンシュタットの街の案内パンフレットも貰うことが出来たので大助かりです。
アルンシュタットへはエアフルトからローカル線(EB:エアフルト鉄道)で15分です。

アルンシュタットは青年期のバッハが18歳で街の新教会のオルガニストとして音楽家と
しての活動を開始したところです。ここの市庁舎前広場には青年バッハの像があります。

駅前に出るとタクシーで5分ほどでバッハ像の前につきます。ここのバッハ像は
「偉大な」という形容詞にぴったりの立派なものであるのに対して、若々しく
ユーモラスで、この街に3年ほどいた間にいくつかのトラブルを起こしたという、
青年バッハの荒削りな姿が伺われて微笑ましいものです。
市庁舎隣の案内所で街の地図を手に入れて、すぐ傍のバッハ教会(バッハ当時の
新教会現在名)のオルガンはバッハの赴任直前に作られ、試奏を頼まれたバッハが
その縁でオルガニストになったという由緒のあるものです。
教会の内装にマッチした綺麗なオルガンを写真に撮らせてもらいました。
教会の人はとても親切で、祭壇前のベンチにしばらくジィーと座っていると、
日本語で書かれた、教会とオルガンそしてバッハの足跡を記した説明書のコピーを
持ってきてくれました。ここのオルガンでの演奏が収録された2枚のCDがあると
いうので、それを購入して教会の外に出ました。教会の周りをひと回りしてみると
外観もどっしりした立派な教会です。ちょうどお昼の時間になりましたので、近くの
郷土料理レストランでお奨めのチューリンゲン風焼きソーセージにマッシュポテトと
ザワークラウトを食べて、時間の許すまで街を歩きました。
最後にお城の博物館でバッハ関連の展示を見ました。説明によると先ほど市庁舎前の
広場で見た青年バッハ像は1985年のバッハ生誕300年祭にお披露目されたようです。
博物館にはこのほか、この地方の生活や文化を示す展示物が豊富にありました。
この街に来た時はタクシーで旧市街地へ連れて来てもらいましたが、それほど大きな
街ではないことが分かりましたので、帰りは地図を見ながら歩いて駅に戻りました。  
再びエアフルトの駅に着いたのは午後4時過ぎでした。
エアフルトはチューリンゲン州の中心都市で古くから商業で栄えた街だということです。
その象徴がクレーマー橋で、橋の上、通りの両側に店が並んでいる珍しい造りです。
ホテルからすぐのところにあるそのクレーマー橋を渡ったところに市庁舎があり、
その前はフィッシュ・マルクト広場です。広場に面した建物の1階はレストランが
並んでいて、店の前のテラスにテーブルが置かれています。
フィッシュ・マルクトからさらに10分ほど歩くと大聖堂の前のドーム広場に出ます。
このあたりがエアフルトの中心です。
エアフルトの第2日目はホテルのそばのアンガー広場から街歩きをスタート。
アンガー広場からクレーマー橋の上流の橋を渡ってフィッシュ・マルクトへ出て、左に
曲がると大聖堂のドーム広場に着きます。ドームと呼ばれる大聖堂は正式には聖マリア・
カソリック大聖堂という名前です。もうひとつの巨大な教会、聖セベリオ教会が大聖堂の
右側に並んで建っているのはエアフルトの街の景色の中でも壮観です。ともに公開されて
いるので、中に入ってその威容を目に焼き付けました。ドーム広場には横断幕が
掲げられていて「クレーマー橋祭り」と書かれています。



さきほどの大聖堂に入るとき見かけた「グロリオサ見学ツアー」に
行って見ることにしました。グロリオサというのは大聖堂の塔の上にある大きな鐘で、
鐘を揺らして中の振子で音を出す方式の鐘の中では世界一の大きさであるといいます。
いまは古くなったため、特別の日だけ鳴らされるそうです。
直径が2m半もあるような大きな鐘で案内の人がこぶしで叩くと、「グォ〜ン」と
鈍い音がしました。大聖堂の後ろにはペータースブルグという大要塞があります。
ここへ登るとエアフルトの街が一望のもとに見渡せます。
夕食に出かけたのはホテルで教えてもらった、旧市街とは反対の街を丸く包み込む
外周道路に面したチュービンゲン料理のレストラン。ホテルからは歩いて10分も
掛らないところですが、その外周道路(リングと呼ばれています)の傍にに小さな
広場があって、何やら胸像のようなものがありJURI GAGARINと記されていました。
旧ソビエト連邦が飛ばした宇宙船に乗った、あの人類初の宇宙飛行士です。
もう一度地図をよく見ると、いま渡った外周道路には「ガガーリン通り」という
名前が付いていました。エアフルトのあるチューリンゲン州は旧東ドイツであった
ことを改めて実感しました。15年前に初めてフランクフルトからドレスデン行きの
特急でライプツィヒに向かった時、旧東ドイツに入ると景色がモノクロに変わった
ような印象を受けたのを覚えています。いまは復興が進んでおり、ドイツ国内の他の
地域と比べてもそん色ありません。

3.ワイマルからライプツィヒへ  
エアフルトに2泊してライプツィヒへ戻る途中、ワイマルへ立寄ることにしていました。
ワイマルといえば多くの方がゲーテの名を思い浮かべるのではないでしょうか。



昨年、フランクフルトで訪ねたのはゲーテの生家でした。
ワイマルで長年にわたって宰相を勤めたゲーテはこの地で1832年に亡くなっています。
エアフルトからワイマルまでは鉄道で15分の距離です。
ワイマルの駅でタクシーに乗ってゲーテハウスまで曲がりくねった道を走りゲーテハウス
の前で下車。ゲーテハウスに入館すると、電話の受話器型の音声装置を渡されますが、
日本語はないので英語を選んで、館内の部屋ごとに表示された番号を押すと説明が
流れて来ます。ワイマルの宰相として活躍したゲーテの公式な応接スペースの他、
数々の名作が生まれた書斎、図書室、家族の部屋を順に巡って行き、最後に寝室に
至ります。ここがゲーテが「もっと光を!」という有名なことばを残して生涯を
終えた部屋です。
ゲーテハウスの前の道を少し行くと市庁舎の前のマルクト広場に出ます。
ここの案内所で絵はがきになった街の地図を買って、それを見ながらゲーテと
シラー、二人の像があるという国民劇場前を目指して歩きはじめましたが、どこかで
完全に道に迷ってしまいました。
ひとに尋ねながらなんとか二人の像にたどりついて、改めて地図を見ると、かなり先まで
歩いてしまったようです。


ワイマルではこの後、シラーの住んだ家(シラーハウス)を見て、ワイマル城の
美術館を訪ねました。お城は市内を流れる小川に沿った公園に面していて、鴨の群れが
憩う自然豊かな所にあります。その公園の中にはゲーテの山荘がある筈です。
あらかじめ目を付けておいた、市庁舎前の広場に面した老舗ホテルのテラスで
ゆっくりと昼食を摂り、ゲーテハウス前まで歩いてタクシーで駅に戻りました。
ワイマルの街でもバッハに出会いました。市庁舎前に戻るために歩いて
いて通りかかったバッハの胸像の傍、反対側の家の壁に「ここに建っていた家にJ.S.Bachが
1708年〜1717年まで住み、そこで1710年にFriedemann Bachが、
1714年にPhillip Emanuel Bach(ともにバッハの息子で音楽家)が生まれた」と書いて
あるのを偶然見つけました。


ワイマルからライプツィヒへは特急で1時間と15分ほどです。
聖トーマス教会のあたりはいつも人で賑わっています。
夕方6時から聖トーマス教会で行われる音楽祭最後のプログラム「ミサ曲ロ短調」を
聴くことを楽しみに時間まで菩提樹の木陰のバッハ像と向かい合うお店に入りました。
日本風にいうとバッハ亭とでも呼べるような名前の付いたレストランのテラスに座って、
この季節が旬の白アスパラガスにハムとジャガイモが添えられたお皿を頼んで、
バッハ像に向かって乾杯し、チューリンゲンの旅を振り返りました。


 

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