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ゲーテ街道

ゲーテ街道
 
フランクフルトから東、ライプツィヒに向かう道はゲーテ街道と呼ばれている。
アイゼナハ、エアフルト、アルンシュタット、ワイマルの街はいずれも
チューリンゲンと呼ばれる地域にあたりアイゼナハの南西にフランクフルトがあり、
ライプツィヒの北北東にベルリン、同じライプツィヒの東南東にドレスデンがある。 
街の位置の地図ワイマルはヴァイマルと表記される場合もあります .
1749年にフランクフルトで生まれたゲーテがライプツィヒ大学で学び、ワイマルで
活躍したことに因んで名づけられた「ゲーテ街道」ですが、1685年生まれのバッハが
多くの足跡を残しており、さらに200年ほどさかのぼる1483年生まれのルターも
主にこの地域を中心に活動しています。


1.ライプツィヒからアイゼナハへ  
ライプツィヒにある聖トーマス教会はバッハがカントール(音楽監督兼合唱指導)
を勤め、1750年に亡くなった後、現在は教会の祭壇に埋葬されている終焉の地ですが、
そのライプツィヒから西へ特急で1時間40分のところにあるアイゼナハはバッハ生誕
の街です。
アイゼナハの駅のホームには「J.S.バッハ生誕地」と記した看板があります。


まずはアイゼナハの街から。駅の外に出るとすぐ前方に古い街の門、
「ニコライ門」が見えます。駅から街の中心部へは10分とかかりません。
ニコライ門をくぐったところは広場になっていて、宗教改革を行ったマルチン・ルター
の銅像が建っています。 街の中心部、市庁前の広場にはルターが説教を行い、バッハが
洗礼を受けたという聖ゲオルグ教会があります。その裏手の路地に見える木組みの
建物が、ラテン語を学んだルターが下宿をしていた家で、ルターハウスと呼ばれています。
ルターハウスではこの街におけるルターの足跡とともに1500年代この地方の暮らしを
紹介する展示を見ることが出来ます。


ルターハウスから小さな坂を上って下りかけたところに、バッハの銅像が建っていて、
そばの建物がバッハハウスと呼ばれるバッハ一族にゆかりの家と隣接する展示館です。
菩提樹の木陰に憩うバッハ像にご挨拶してからバッハハウスの展示館に入ると
視聴覚機器を駆使した立体的な映像やブランコ型のリスニング装置でのオーディオ
再生を使ってバッハの音楽を楽しむことが出来ます。
バッハの足跡を示すさまざまな資料に加えて、当時の楽器が豊富に展示されており、
時間を決めて係の人が説明とともに古楽器を演奏してくれるのも見逃せない
パーフォーマンスです。


アイゼナハの街の背後の山にそびえるヴァルトブルク城は、アイゼナハの駅
からお城のすぐ下までバスで行くことが出来ます。
ヴァルトブルク城は世界遺産になっている名城で、1067年からの築城と
いわれています。城は下から見上げても、登って間近に見ても外観が美しい
だけでなく、数々の逸話に彩られた歴史的にも重要な山城です。
城内の案内ツアーは下の入口から入って、この地域の歴史と築城の経緯が
語られます。中世の吟遊詩人の歌合戦が行われた広間もあり、後にワグナーが
歌劇「タンホイザー」の舞台としたことはよく知られています。
さらに城一番の大広間「祝宴の間」を見て、1時間ほどのツアーが終ります。
マルチン・ルターが宗教改革で迫害を受けた時に、土地の領主の計らいでこの城の
一室にかくまわれ、そこで聖書の翻訳を行ったという事実。それは1521年から
1522年にかけて約10カ月かかったといわれています。
そのルターの部屋(ルター・シュトゥーベ)はルター関連の資料が展示された
部屋を出て渡り廊下を渡ったところにあります。
話に聞いていた木の机と椅子、悪魔が妨げに来た時にインク壷を投げつけたために
出来た壁の傷、日ごろ足置きに使っていたという大きなクジラの骨が置かれた部屋を

みて、城外に出ると城の周りはうっそうとした森に囲まれています。
隣接するホテルのテラスでアイゼナハの街や遠くに続くチューリンゲンの
森を眺めながら、この地方独特の焼きソーセージとビールを味わう幸せなひと時。  
ヴァルトブルク城の山を降りて、前述の聖ゲオルグ教会を訪れます。
教会に入るとすぐのところにバッハの銅像があります。バッハハウス前の銅像とは
違うポーズです。


この教会のマントを羽織った姿の黒光りしているバッハ像は独特で印象に残り
バッハ像の斜め後ろの壁にはプレートが掲げられていて、「1685年3月23日、
J.S.Bachがこの教会で洗礼を受けた」と記されています。
教会の祭壇前に置かれた鉢はバッハ受洗時のものだそうです。
この教会はその正式名称「新教ルター派聖ゲオルグ教会」が示すようにルター
とも大きな縁でつながっています。 ここで洗礼を受けたバッハも当然ルター派の
新教(プロテスタント)信者として教会音楽の世界に入って行ったことが容易に
伺われます。
教会の中に入って祭壇と反対側、後の上部には立派なパイプオルガンがあります。
1524年に起こった農民戦争で一度破壊された後、1560年に再建され、バッハ一族の
者が多くオルガニストを勤めて来たということですから、大バッハもこれを演奏した
ことがあると考えてよいのでしょう。
前の日に訪ねたバッハハウスの売店で求めて来た「ルターの詩によるバッハ作品集」と
いうCDのジャケットにもこのオルガンの写真があります。
ルターハウスにもリュートやギターなどの楽器が展示されていたようにルターは音楽を
好み、家族と楽しむ一方でたくさんの讃美歌を作りましたが、後にバッハが
教会カンタータを作曲する時に採り入れたものがかなりあるといわれて
います。
下の2枚の写真は聖ゲオルグ教会の内部とバッハ受洗のプレートです。
このあと、近くのチューリンゲン博物館を見て、1時間ほど市内を散策してホテルに
戻りました。


2.アルンシュタットからエアフルトへ  
アイゼナハに2泊してからエフハルトへ向かいました。アイゼナハからエアフルト
へは特急で30分足らずです。エアフルト駅のインフォメーション(案内所)で
今日の目的地、アルンシュタットへの行き方を教えてもらいました。
アルンシュタットの街の案内パンフレットも貰うことが出来たので大助かりです。
アルンシュタットへはエアフルトからローカル線(EB:エアフルト鉄道)で15分です。

アルンシュタットは青年期のバッハが18歳で街の新教会のオルガニストとして音楽家と
しての活動を開始したところです。ここの市庁舎前広場には青年バッハの像があります。

駅前に出るとタクシーで5分ほどでバッハ像の前につきます。ここのバッハ像は
「偉大な」という形容詞にぴったりの立派なものであるのに対して、若々しく
ユーモラスで、この街に3年ほどいた間にいくつかのトラブルを起こしたという、
青年バッハの荒削りな姿が伺われて微笑ましいものです。
市庁舎隣の案内所で街の地図を手に入れて、すぐ傍のバッハ教会(バッハ当時の
新教会現在名)のオルガンはバッハの赴任直前に作られ、試奏を頼まれたバッハが
その縁でオルガニストになったという由緒のあるものです。
教会の内装にマッチした綺麗なオルガンを写真に撮らせてもらいました。
教会の人はとても親切で、祭壇前のベンチにしばらくジィーと座っていると、
日本語で書かれた、教会とオルガンそしてバッハの足跡を記した説明書のコピーを
持ってきてくれました。ここのオルガンでの演奏が収録された2枚のCDがあると
いうので、それを購入して教会の外に出ました。教会の周りをひと回りしてみると
外観もどっしりした立派な教会です。ちょうどお昼の時間になりましたので、近くの
郷土料理レストランでお奨めのチューリンゲン風焼きソーセージにマッシュポテトと
ザワークラウトを食べて、時間の許すまで街を歩きました。
最後にお城の博物館でバッハ関連の展示を見ました。説明によると先ほど市庁舎前の
広場で見た青年バッハ像は1985年のバッハ生誕300年祭にお披露目されたようです。
博物館にはこのほか、この地方の生活や文化を示す展示物が豊富にありました。
この街に来た時はタクシーで旧市街地へ連れて来てもらいましたが、それほど大きな
街ではないことが分かりましたので、帰りは地図を見ながら歩いて駅に戻りました。  
再びエアフルトの駅に着いたのは午後4時過ぎでした。
エアフルトはチューリンゲン州の中心都市で古くから商業で栄えた街だということです。
その象徴がクレーマー橋で、橋の上、通りの両側に店が並んでいる珍しい造りです。
ホテルからすぐのところにあるそのクレーマー橋を渡ったところに市庁舎があり、
その前はフィッシュ・マルクト広場です。広場に面した建物の1階はレストランが
並んでいて、店の前のテラスにテーブルが置かれています。
フィッシュ・マルクトからさらに10分ほど歩くと大聖堂の前のドーム広場に出ます。
このあたりがエアフルトの中心です。
エアフルトの第2日目はホテルのそばのアンガー広場から街歩きをスタート。
アンガー広場からクレーマー橋の上流の橋を渡ってフィッシュ・マルクトへ出て、左に
曲がると大聖堂のドーム広場に着きます。ドームと呼ばれる大聖堂は正式には聖マリア・
カソリック大聖堂という名前です。もうひとつの巨大な教会、聖セベリオ教会が大聖堂の
右側に並んで建っているのはエアフルトの街の景色の中でも壮観です。ともに公開されて
いるので、中に入ってその威容を目に焼き付けました。ドーム広場には横断幕が
掲げられていて「クレーマー橋祭り」と書かれています。



さきほどの大聖堂に入るとき見かけた「グロリオサ見学ツアー」に
行って見ることにしました。グロリオサというのは大聖堂の塔の上にある大きな鐘で、
鐘を揺らして中の振子で音を出す方式の鐘の中では世界一の大きさであるといいます。
いまは古くなったため、特別の日だけ鳴らされるそうです。
直径が2m半もあるような大きな鐘で案内の人がこぶしで叩くと、「グォ〜ン」と
鈍い音がしました。大聖堂の後ろにはペータースブルグという大要塞があります。
ここへ登るとエアフルトの街が一望のもとに見渡せます。
夕食に出かけたのはホテルで教えてもらった、旧市街とは反対の街を丸く包み込む
外周道路に面したチュービンゲン料理のレストラン。ホテルからは歩いて10分も
掛らないところですが、その外周道路(リングと呼ばれています)の傍にに小さな
広場があって、何やら胸像のようなものがありJURI GAGARINと記されていました。
旧ソビエト連邦が飛ばした宇宙船に乗った、あの人類初の宇宙飛行士です。
もう一度地図をよく見ると、いま渡った外周道路には「ガガーリン通り」という
名前が付いていました。エアフルトのあるチューリンゲン州は旧東ドイツであった
ことを改めて実感しました。15年前に初めてフランクフルトからドレスデン行きの
特急でライプツィヒに向かった時、旧東ドイツに入ると景色がモノクロに変わった
ような印象を受けたのを覚えています。いまは復興が進んでおり、ドイツ国内の他の
地域と比べてもそん色ありません。

3.ワイマルからライプツィヒへ  
エアフルトに2泊してライプツィヒへ戻る途中、ワイマルへ立寄ることにしていました。
ワイマルといえば多くの方がゲーテの名を思い浮かべるのではないでしょうか。



昨年、フランクフルトで訪ねたのはゲーテの生家でした。
ワイマルで長年にわたって宰相を勤めたゲーテはこの地で1832年に亡くなっています。
エアフルトからワイマルまでは鉄道で15分の距離です。
ワイマルの駅でタクシーに乗ってゲーテハウスまで曲がりくねった道を走りゲーテハウス
の前で下車。ゲーテハウスに入館すると、電話の受話器型の音声装置を渡されますが、
日本語はないので英語を選んで、館内の部屋ごとに表示された番号を押すと説明が
流れて来ます。ワイマルの宰相として活躍したゲーテの公式な応接スペースの他、
数々の名作が生まれた書斎、図書室、家族の部屋を順に巡って行き、最後に寝室に
至ります。ここがゲーテが「もっと光を!」という有名なことばを残して生涯を
終えた部屋です。
ゲーテハウスの前の道を少し行くと市庁舎の前のマルクト広場に出ます。
ここの案内所で絵はがきになった街の地図を買って、それを見ながらゲーテと
シラー、二人の像があるという国民劇場前を目指して歩きはじめましたが、どこかで
完全に道に迷ってしまいました。
ひとに尋ねながらなんとか二人の像にたどりついて、改めて地図を見ると、かなり先まで
歩いてしまったようです。


ワイマルではこの後、シラーの住んだ家(シラーハウス)を見て、ワイマル城の
美術館を訪ねました。お城は市内を流れる小川に沿った公園に面していて、鴨の群れが
憩う自然豊かな所にあります。その公園の中にはゲーテの山荘がある筈です。
あらかじめ目を付けておいた、市庁舎前の広場に面した老舗ホテルのテラスで
ゆっくりと昼食を摂り、ゲーテハウス前まで歩いてタクシーで駅に戻りました。
ワイマルの街でもバッハに出会いました。市庁舎前に戻るために歩いて
いて通りかかったバッハの胸像の傍、反対側の家の壁に「ここに建っていた家にJ.S.Bachが
1708年〜1717年まで住み、そこで1710年にFriedemann Bachが、
1714年にPhillip Emanuel Bach(ともにバッハの息子で音楽家)が生まれた」と書いて
あるのを偶然見つけました。


ワイマルからライプツィヒへは特急で1時間と15分ほどです。
聖トーマス教会のあたりはいつも人で賑わっています。
夕方6時から聖トーマス教会で行われる音楽祭最後のプログラム「ミサ曲ロ短調」を
聴くことを楽しみに時間まで菩提樹の木陰のバッハ像と向かい合うお店に入りました。
日本風にいうとバッハ亭とでも呼べるような名前の付いたレストランのテラスに座って、
この季節が旬の白アスパラガスにハムとジャガイモが添えられたお皿を頼んで、
バッハ像に向かって乾杯し、チューリンゲンの旅を振り返りました。


 

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お城見学「ニュンフェンブルク宮殿&公園」

ニュンフェンブルク宮殿&公園

宮殿と公園の調和のとれた ヨーロッパ屈指の傑作です。
バイエルンの生ける「歴史書」であると同時に、建築と造園が絶妙な
ハーモニーで結びついているのです。
もし、子供の誕生祝いが全てこれほど美しいものなら!
バイエルン選帝侯フェルディナンド・マリアは、待望の皇太子誕生に喜び、
妃のサヴォア公アデレーデに土地を贈りました。 それは1663年のことで、
ヴィッテルスバッハ家の選帝侯妃にしてサヴォア公だったヘンリエッテ・
アデレーデは、自身のために庭園を備える夏用の小さなヴィラを建てました。
これがニュンフェンブルク宮殿の前身です。 18世紀初頭には、 ギャラリーで
接続された居住パビリオンが両側に追加され、ファサードが「フランス風」に
リフォームされて、簡素な宮殿はエレガントで広大な夏の離宮に生まれ
変わりました。

今日ニュンフェンブルク宮殿を見学すると、ある意味バイエルンの歴史を
体験することになります。
2世にも及ぶ歴史の中で、バイエルンの選帝侯や国王たちがここに
足跡を残しているからです。 完璧なバロック施設を構成する要素をご紹介
しましょう。
バーデンブルクは、暖めることができる、初めての近代「スイミングホール」
です。ロココ様式による銀青色の狩猟用離宮アマリエンブルクは、独特な
豪華さの中に、夥しいほどの繊細で感嘆に値するディテールを持ち合わせて
います。

ニュンフェンブルク宮殿の北翼には、人と自然の博物館があります。
ここでは、地球と人類の歴史をたどるタイムトラベルを体験できます。
エクスカーション ミュンヘンのホーフガルテンは、アルプス以北で最大の
ルネッサンス庭園に数えられています。 ホーフガルテンの北東部には、
直接イギリス庭園へ接続している、散歩道があります。 ミュンヘン北部、
シュライスハイム宮殿敷地内のルストハイム宮殿には、古いマイセン陶磁器の
世界的に有名なコレクションがあります。 ミュンヘンの南方に位置する、
シャッヘンの「国王の山荘」は、国王ルートヴィヒ2世が山岳部に滞在する
際の避難所として利用していたもので、アルプスガーデンが併設されています。
山荘の下には、1900年に植物園のアルプスガーデンが造られています。

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無料&徒歩でめぐる、ロンドン観光スポット

無料&徒歩でめぐる、ロンドン観光スポット

ビックベンから出発! 衛兵交代を見て、コベント・ガーデン、そして大英博物館へ。

交通費なし、入場料無料でまる1日ロンドンを満喫できるプラン!

 

ビックベンの鐘の音を聞いてから歩き始めるウェストミンスター橋から見える国会議事堂とビックベン

ビックベンの鐘の音を聞いてから歩き始める  ウェストミンスター橋から見える国会議事堂

 

皆さんをロンドンの市内観光へご案内します!

とてもシンプルでスタンダードなロンドンの街歩きです。スタートは

ビッグベンを午前10時!

ロンドンを象徴するこの大時計はロンドンの国会議事堂

(ウエストミンスター宮殿)に付属する時計台です。

2009年に150歳になりました。日本の学校でよく使われている、

キーンコーンカーンコーンというチャイムはこのビックベンの鐘の

音が基になっています。

 

ロンドン・アイも1度は体験したいアトラクション

テムズ川を挟んだ対岸には新しいロンドンのランドマーク、ロンドン・

アイが見えます。

目の前のウエストミンスター橋を中ほどまで渡って振り返ると、

華麗な国会議事堂の姿が眺められます。

1066年から英国国王の戴冠式が行われている大変由緒ある重要な寺院です。

 

ウエストミンスター寺院の前を通ってバッキンガム宮殿へ

ビックベンを背にしてバッキンガム宮殿へ。お目あては衛兵交代。

始まるのは11時30分。

ここにはニュートンやダーウィンなど、教科書に出て来る歴史上の

人物が埋葬されています。

ウェストミンスター寺院英国国王の戴冠式を執り行う教会として歴史を

歩んできた由緒ある建物。1997年のダイアナ妃の葬儀がここで行われました。

気持ちのよい公園を抜けて行きます

右手にセント・ジェームスパークが広がる

ロンドンにはとてもたくさんの公園があります。今、歩いているのは

セント・ジェームスパーク、ロイヤル・パークスと呼ばれる王立公園の1つです。

ハイドパークと比べると小振りですが、手入れの行き届いた花壇や水辺の景色が

とても素敵な場所です。リスや水鳥たちもすぐそばまで近寄ってきます。

セント・ジェームス公園バッキンガム宮殿とトラファルガー広場を結ぶ

ザ・マルに隣接。たくさんの水鳥とリスが走り回る公園、まさに都会のオアシス。

 

バッキンガム宮殿と衛兵交代

エリザベス女王の公邸バッキンガム宮殿

英国王室の宮殿そして、エリザベス女王の公邸、そして執務の場所です。

王室旗が掲げられていたら女王はご在宅、不在だと英国国旗になります。

「ロンドン」イコール「赤い上着に大きな黒い帽子の兵隊さんたち」。

ちなみに、黒い帽子はクマの毛皮でできているんだそうです。

儀式は11時半から40分間くらい、11時20分頃には楽団がやってきます。

宮殿をとりまく柵のそばより、正面のビクトリア記念碑の周辺のほうが

全体が見やすいと思います。もちろん最前列で交代儀式をかぶり付き、

も悪くありませんよ。気がつくと驚くほど人が集まっていました。

みんなうれしそうです。さすがロンドン屈指の観光地ですね。

 

ザ・マルからトラファルガー広場へ。

いつもたくさんの観光客で賑わっているトラファルガー広場

バッキンガム宮殿からトラファルガー広場までをつなぐ道路、

ザ・マルを通ってトラファルガー広場へ。

ザ・マルは王室の儀式用に作られた道路です。トラファルガー広場も

ロンドン観光には外せない場所のひとつです。高さ50mの石柱に立って

いるのはネルソン提督の像。

1805年トラファルガーの海戦でフランスとスペインの連合軍を破り、

ナポレオンのイギリス征服から国を守ったネルソン提督は英国の英雄です。

廻りを囲むライオン像も観光客には大人気です。

ナショナルギャラリー

ナショナル・ギャラリーはヨーロッパ絵画の宝庫

広場の北側に建つ堂々たる建物はナショナル・ギャラリー。ヨーロッパ絵画の

素晴しいコレクションが無料で見られます。ゴッホの「ひまわり」やオランダの

レンブラント、英国のターナー、印象派画家の作品、バロックから フランドル派

までが2300点展示されています。

好きな絵とじっくり対峙できますよ。2か所あるレストランとカフェもお薦めです。

 

中華街で食事!

中華街で何か食べてみる?

ナショナル・ギャラリーの裏手にはレストラン街が広がっていてソーホーと

呼ばれるチャイナタウンがあります。

海外旅行の間に、ごはんやおしょう油味が恋しくなった時、チャイナタウンは

日本人の強い味方の気がします。

 

コベントガーデンへ。

いつでもお祭りのように賑わっているコベントガーデン

朝ごはんフルイングリッシュブレックファーストをいただいて後は、

コベント・ガーデンに足を延ばしてみては。

、英国ブランドのショップやかわいいカフェなどがたくさんあり、

ストリート・パフォーマンスも人気があります。

ここは、ジョージ・バーナード・ショー戯曲『ピグマリオン』が

原作になったMayfair lady(メイフェア・レディ)の舞台でも有名です。

コベントガーデンは、言葉がわからなくてもきっと楽しめます。

気がつくとあっと言う間に時間が過ぎてしまう、そんな場所です。

 

大英博物館の正面入口800万点収蔵されている世界一の博物館。

 

最後にご案内したい場所は大英博物館。

コベント・ガーデンから歩くと20分ちょっと。

大英博物館もロンドン観光ではずせない場所です。

あまりに広くてあまりにたくさんの展示物がありますので、ポイントや

見たいものを決めてから回りはじめないと疲れが倍増してしまうので

韓愛MAPで検討してから・心に残る大英博物館作品をお楽しみ下さい。

見どころは、古代エジプト、古代ローマ、ギリシャギャラーリは、圧巻です。

どうも、おつかれさまでした!

 

 

 

 

 

 

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世界で最も有名な芸術家とアンボワーズ

世界で最も有名な芸術家レオナルド・ダヴィンチとアンボワーズ

フランスの庭”と称えられる美しい人口約12,000人の小さな町アンボワーズ。
純粋なフランス語を話すことで知られるトゥーレーヌ地方にある小さな町で
歴史的にも 見所が、たくさんある。 15世紀よりフランス歴代の国王が居住
したという由緒を誇る町アンボワーズ。 小高い岩山の上からロワール渓谷を
望むアンボワーズ城は、この町のシンボルとして古くから親しまれている。
河岸から見上げると、さすがにもとは中世の城砦だっただけあり、優雅かつ
重厚さを感じる。500年前、丘の上にあったこの城は、さぞかし目立つ存在で
あったことであろう。


この城の敷地内のチャペルには“世界で最も有名な芸術家”が眠っている。
イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダヴィンチである。
アンボワーズはレオナルドが晩年を過ごした町として知られており、
アンボワーズ城から400メートルほど離れた場所にはレオナルド最後の家、
クロ・リュセ城が今も当時のままの姿で残されている。フランソワ1世に
招待されてイタリアから1516年にやってきたレオナルド・ダヴィンチ、
その荷物には、後にルーヴル美術館の至宝となるモナリザ、聖アンナと聖母子、
洗礼者聖ヨハネの3作品が含まれていた。1519年5月2日に亡くなるまで
3年間をクロ・リュセ城で過ごしたが、この城とアンボワーズ城は地下道で
つながっており、フランソワ1世はこの地下道を通って度々レオナルドを訪ねて
いたといわれている。レオナルドは、彼の意志に従ってアンボワーズ城の
サン・フロランタン教会堂に葬られ、その後19世紀になって教会堂が取り
壊されると、彼の遺骨は、アンボワーズ城の聖ユベール礼拝堂に移された。



アンボワーズ城下には、レオナルド・ダヴィンチも通ったことであろう
オシャレなお店やカフェがたくさんある城下町が広がる。その中でも、
スィーツ好きの方には、お菓子屋さんPatisserie Bigot(パティスリ・ビゴ)が
お勧め。テラス席からは、ゆったりアンボワーズ城を眺める事もできる。
1913年から営業をしている歴史のあるお店である。そして、お土産探しには、
Loire et Terroirs(ロワール・エ・テロワール)がお勧め。スーパーや普通の
お土産屋さんでは手に入らない、ロワール地方の特産を手に入れる事ができる。


また、アンボワーズ城を囲むぶどう畑は、トゥーレーヌでも最も美しい畑の
一つであり、 この地方の フリント(火打ち石)混じりの粘土石灰質は、
ワインに力強さを与え良質のワインを生む。昔のワイン貯蔵庫の洞窟を改造して
作られたレストランLa Cave Aux Fouees (ラ・カーヴ・オ・フエ)は、
料理が全て薪のかまどで調理され、洞窟の中で伝統料理の各種コースを食べる
ことができる。 情緒溢れる町アンボワーズは、世界的に有名なロワールの古城群と
ワイナリー巡りへの理想的なアクセスポイントでもあり、フランスの歴史を感じ、
時をゆっくりと過ごしたい方へのお勧めのスポットである。現在でも世界的に
有名な人物が第二の故郷として別荘(ラ・ファーシェット城)をもち、年に
数か月はこの地で過ごしている。その人とは、イギリスのロックバンド、
ローリング・ストーンズのヴォーカル、ミック・ジャガーである。
この地でローリング・ストーンズのアルバムレコーディングが行われたことも
あるらしい。
パリAusterlitz駅から直通電車で2時間、Amboise駅下車。
またはパリMontparnasse駅からSt Pierre des Corps駅までTGVで1時間、
St Pierre des Corps駅で乗り換え、Amboise駅下車となる。

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Tommyの冒険 3.厳しくも儚い東京生活

Tommyの冒険 3.

厳しくも儚い東京生活

 

財布の中が軽くなった!さあ、明日からどうやって生活しよう。

親に金を送ってくれとは、言えない。

実家を頼ろうにも、弟と妹が大学に行く準備で両親は金の工面が大変なはず。

しかも東京に行く金銭を準備してくれたのを使い切ったのだから金の無心は

したくない。

さあ、どうする!

とりあえず、伯父に頼らず仕事を見つけるためビジネススーツに着替えて

職探しに向かった。

職業安定所、新聞広告、求人の張り紙を頼りに会社や商店を訪ねて回るが 

なかなか思っているほど良い仕事は見つからない。

朝10時から5時まで働けるところなんて都合の良い仕事がそう簡単に

見つかるわけがない。

とりあえず短時間でも働けるところを探していると 派遣で伊勢屋百貨店の

食料品コーナーわらび餅コーナーの張り紙を発見!

時間は、9:40〜18:00まで8時間ほど働いて1日500円。

面接に行ったらなんと即採用!

面接で聞かれたのは、「なぜ東京で働くのか」?「今、何をしているのか」?

「身元保証人は」?

多分、伯父の職業や住まいの威光で採用されたらしい!

自分の力で採用されたわけではないと思う。

早速、明日から来てほしいと言われ初めてわらび餅を作ることになった。

作り方は、至って簡単だが 簡単だから余計難しい!

1.鍋にわらびもち粉を入れ、少しずつ水を加えながら混ぜ合わせ、中火にかける。

2.木べらで混ぜ合わせながら煮て、トロミがついてくれば弱火にし、

更によ〜く混ぜ合わせ、半透明になったところで火を止める。

3.熱いうちに、水でぬらしたバットに流し入れ、バットごと冷水につけ、

冷めれば取り出し、水気を切る。

4.砂糖、塩少々を混ぜ合わせたきな粉の上に取り出し、食べやすい大きさに

切りながら、きな粉をまぶし、器に盛る。

5.冷蔵庫に入れると生地が白濁するので、常温で早めに美味しいうちに

販売するのが勝負の分かれ目だ。

初日は、呼び込み中心!

標準語などしゃべれないから、イチかバチかの九州弁で呼び込みを

すると意外なことに九州弁丸出しでのセールスが功を奏したらしく、あっという間に

人だかり!

九州名物と思われたのか、口上が良かったのかすごいお客さんの数!

いくら作っても次から次へと売れて行く!

1日中呼び込みで声がおかしくなるし、立ちっぱなしで足は痛いし、大変な仕事だ。

1週間ほどするとだんだん要領がわかってきて職場の仲間ともうまく付き合えそうだ!

私の自信作のわらび餅、伯父さん家族は、どう思ってくれるだろう!

わらび餅を土産に勇んで家に帰ると、いつものごとく19時を過ぎている。

また、伯母さんから「どこで何をしているの?夕刻には帰ってくる約束でしょう」と

小言を言われそうだが、今日はお土産を持って帰れる喜びでいっぱいだ。

思った通り小言でお出迎え。「でも伯父さんの帰りまでにはきちんと帰ってます」

「夜、出歩いて遊んでいるわけではありません。伊勢屋で仕事をしているんです」と

反論!

「これはお土産です!これは僕が作りました。美味しいから食べてみてください」と

言うのが精いっぱいでした。

伯母さんは、びっくりした目をして「貴方は、わらび餅を作るために東京まで来たの」 

ああっ、確かに伯母さんの言うとおりだ。何も言えず、黙って自分の部屋に戻りました。

もう反論する気になれませんでした!

その後、彼女が心配して部屋に来て少し話しました。しかしその時、私の心は決まって

いました。

好きだけでは結婚できない。相手を幸せにできる自身がなければこの話は受けるべきで

はない。

彼女がいつものように歌ってくれた歌は、いつも心に届いていたのに…
大きな窓と小さなドアーと
部屋には古い暖炉が・…

そんな家庭を彼女は、夢見ていたのかもしれない。

しかし、どうも愛しいあなたは、今どこにとなりそうだ。

小坂明子の歌が私の脳裏に焼き付いて眠れませんでした。

 

翌日、自分で今後のことを、はっきり決めました。、

東京よ、さようなら…  

明日は、東京でお世話になった人達に挨拶をして福岡へ帰ろう。

外の公衆電話から実家に電話すると父が出てくれました。

「お父さん、いろいろお世話かけましたが やっぱり博多に帰ります。

戻ってもいいですか」。

父は、「叔父さんにきちんと挨拶して帰ってきなさい。それから、もう一切、

彼女と連絡をしないように」。

この後、伯父さんが帰宅し、自分には東京の生活は、あわない事。

芽衣さんには、自分にはもったいない事、伯父さんが考えている私の将来の話は、

興味が無いことを 理由に伝えました。

伯父は、黙ってうなづきました。

 

2日後、私は、博多へ戻りました。

 

つづく

この物語小説は、史実を基にしたフィクションです。

 

この物語は、史実を基にしたフィクションですが、東京編の物語は楽しんで

いただけましたか?
この物語は、さらに続きますが3節のここまでは予告編です。
第1章「東京編3節」までで中断いたしますがこれから
第2章「就職編」を経て「海外」へと物語は展開していきます。
業務の関係上、次号の発表については今のところ未定です。
次号の、発表時期につきましては 
後日、このFacebook上でお知らせいたします。
どんな展開になるのか空想を膨らませてお待ち下さい 
       Tommy

 

 

 

 

 

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Tommyの冒険2.東京生活スタート

Tommyの冒険2.

東京生活スタート

 

「ごめんください。福岡のTommyです。誰かいませんか」!

ドアが開いて女性が顔を出してくれた。伯母さんらしい。 

「福岡のTommyです」というと中に案内してくれて客間でお茶を入れてくれた。 

まだ伯父さんは、帰ってきていないという。伯母さんとは、初めて会う。 

立ち居振る舞いがしゃんとして、お茶の入れ方一つとっても厳しそう。

どうも苦手なタイプのようだ。

伯母さんがこれからの東京生活について話してくれた。

その内容に、私は耳を疑った。

まず、養女が一緒に住んでいるとの事。

この段階ですでに疑問がむくむくと頭をもたげる。

驚いたことに、私自身も書生としてではなく養子として迎えることになっているという。

しかもあろうことか、将来二人は一緒にさせられるという。

私の父と伯父の間では、すでに取り決められていると言うのだ。

「だから、あなたは福岡に帰る必要がないのよ」。

いや、そう言われても…私の人生は、私のものではないのか?

                          

 衝撃の事実を知らされ、食事など喉が通るわけがない。

私はひたすら伯父の帰りを待った。

夕刻、養女の芽衣さんが帰宅。ちらりと見れば、なんとも聡明な雰囲気を漂わせる美女で

しかもスレンダー。

長い髪がよく似合う。まさに良家のお嬢さんである。

学校は、小さい頃から東京の名門校のエスカレーターコース。

現在は、大学で国文学を勉強中で私と3歳年下である。

夜9時頃、伯父さんが帰宅。

伯母さんに急かされて玄関へ出迎えにでる。

私は、書生見習いとして来ているのだから。お抱え運転手を見送ってから伯父さんと対面。

これまでの父とのやり取りを話してもらう。

伯父さんは、私が尊敬する男性のタイプだ。

戦前、裕仁陛下(昭和天皇)から学生時代「恩賜の金時計」を頂いたらしく

若い頃はよく勉学に励んだらしい。

戦争中も金時計を肌身離さず大事にしていたそうで兵役では首にぶら下げていたので

上官から殴られなかったと言う逸話もある!

聞くところによると学徒出陣で兵隊に駆り出され、上官からみんなビンタを

受ける羽目になったとき、上官から「時計をはずせ」と言われた。

しかし伯父が「これは陛下からいただいたものであります。

自分の命より大事なものですから外すわけにはまいりません。

他の者が陛下より下賜されたこの時計に触れることは許されません。

恐れ多くも…」と言ったところで上官が「次」と言ってスルー。

時計のおかけで何度も殴られずに済んだらしい。

 

戦後、国家公務員として内閣府で働き、現在は 宮内庁で春秋叙勲等における

勲章等の授与の栄典に関する仕事を行っている。

その伯父は、東京で結婚したが子供に恵まれず、養女を迎え今回の仕儀となった。

私の意見も聞かず、相談もなく話だけが進んでいたのである。

この日は、風呂に入って早く休んだが、全く眠れず一夜を明かした。

このまま行けば、私の人生は安泰のようだが、母はどう思っているのか

翌日、公衆電話で母に電話をかけた。

母は、「嫌だったらいつでも帰ってきていいよ」

「お父さんは、あなたのことを考えて一番いい方法だと思っているだけ。

あなたの人生だから自分の好きなように生きなさい」と言ってくれた。

でも1ヶ月だけでも頑張ってみたら…皆さんの良いところやこれから先の僕の生き方が

見えてくるかもしれないとアドバイスを受けたのでとりあえず

1ヶ月間東京生活を楽しんでみることにした。

 

伯父さん宅には、厳しいルールがあった。

朝6:30起床 庭、玄関掃除の後、朝食7:30伯父さんの公用車の出迎えと

見送りそして夕刻の出迎え。

そして自分の部屋掃除が終わると後は晩飯まで自由時間が与えられた。

この家にいる間に将来自分がやりたい目的を探すこと。

見つからなければこれから先の人生は、 伯父の指示に従うこと。

まさに究極の二者択一ライフが始まったのである。

家にいると伯母さんから「大の男が家でブラブラしていてはダメでしょう!」と

ダメ出しされる始末。

ブラブラしているつもりはないが、行く当てもなく、私は迷っていた。

一方、彼女は朝食後、大学へ…。私とは違って規則正しい生活を送っており、

きちんと決められた時間に帰宅する。

彼女が帰ってきてから、私たちは2時間程会話を楽しむ。

学校で勉強してることや趣味のたわいもない話であるが、一日の中で一番楽しい時間だ。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。

どういうつもりなのか、彼女はいつも会話の後で小坂明子の「あなた」を歌ってくれる…

しかし、毎日このまま家でゴロゴロしていては、伯母さんに叱られる。

私は、朝食後毎日東京都内を散策することにした。

 

東京には魅力的な場所が多くどこへ行こうか迷っていたが、まずは皇居見学を

思いついた。

「皇居」で東京の歴史と自然に触れたいと思い、いざ皇居へ。

皇居前広場と二重橋を眺めることが一般的な皇居観光だ。

ところが実は事前に手続きをすれば手軽に見学できることがわかった。

利用しない手はない。

皇居桔梗門前で受付後に敷地内に入り自由に散策が出来た。

これは当時の話で、現在は、見学係員が付いて団体での見学がスタートするように

なったらしい。

コースは徒歩で約2kmを75分ほどかけて巡る内容で、すべて建物の外観見学コース

では宮殿や宮内庁庁舎等だけではなく、江戸城の面影を随所で目にすることができる。

また、天気の日は、広い新宿御苑でのんびり昼寝。

智恵子は東京には空が無いと言ったが、そんなことはなく、これは実に気持ちがいい。

上野周辺では、1日中美術館、博物館、公園や池の周辺で時間を費やして夕刻帰宅。

雨の日は映画館で洋画のはしご!「ベンハー」「アラモ」「風と共に去りぬ」

「ドクトルジバゴ」など銀幕に別の世界が現れる。

毎日これの繰り返しだ。

家に帰ると叔母さんから1日何をしていたかを必ず聞かれる。

行動報告である。

計算高いことができなかった私が馬鹿正直に答えると

「Tommy。貴方は将来のことをちゃんと考えていますか?」とお叱りを受ける。

だんだん居づらくなってきた。叔父さんに東京での将来のことを相談すると、

「2・3か月ぐらい遊んでそのうち自分の道を見つけなさい。

それで見つからない時は、私の手伝いをしてくれ」

「私の手伝い?」それはいったい何なのか。

聞いてみたが「時期が来たら教える」のみでこの会話は終わった!

芽衣さんは、叔父さんに言い含められているのか 私に対して良くしてくれる。

私にも彼女には不満などあろうはずがないのだが、これからの人生を考えると答えが出ないままの

宙ぶらりんな感情もある。

だから、彼女に対しては申し訳ない気持ちで一杯だった。

そんな私の迷いを知ってか知らずか、芽衣さんは会話の最後には、決まったように小坂明子の

「あなた」を歌ってくれる…

それはともかく、毎日出歩いているので外の生活には慣れてきたが、はたと気づけば財布の中が

軽くなっていた。

カネがない!明日からどうして生活しよう!

私は、自分でも思いもしなかったところへ飛び込んだようだ。
 

(つづく)

 

【この物語小説は、実話を基にしたフィクションです】

次号は、「厳しくも儚い東京生活」!

※ご意見や間違い指摘、文章がおかしいところがあればご指導/ご指摘きください。

次回をお楽しみに…!     Tommy

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Tommyの冒険小説 1東京へ出発

このページをご覧いただきありがとうございます。
本日、2019年4月1日(月)11:30
日本政府は、新元号を「令和」と発表しました。この記念すべき日に

「Tommyの冒険」を起草します。 

この物語は、夢と希望に満ちた主人公の挫折や失敗、失恋、平凡な

生活を紹介しています。
物語は、1小説毎にほぼまとめていますが、読者の方には、是非とも、

ご忌憚のないご意見を宜しくお願いします。
4月1日から月1回のゆっくりペースで掲載します。

 

「Tommyの冒険」小説1
私の名前は、Richard de Tommy。
フランス人でもイギリス人でもない。列記とした日本人であるがこの

文面の中では、Tommyで紹介させていただく。
皆さんお気づきと思うが名前の間にdeが入っている!
Duの意味するところは、後日お話しよう。

1.東京へ出発

思えば40年以上前、私が大学生の時(当時21歳)、父親から東京

行きを命じられる。
東京の伯父の家へ「書生として行って来い。気が向けば、そのまま

ずーといていいぞ」!
手元には、とりあえず2ヶ月分5万円が渡され、何も考えず遊び気分で

列車に飛び乗った。(現在の貨幣価値で35万円程度と思われる)
ちなみに当時の初任給は29,800円位で、市電が20円、うどんが30円、

映画が70円だったのを覚えている。
特急「つばめ」は、博多駅を夜発車。寝台車で寝て翌日朝東京駅に

到着。はじめての東京だ。

東京駅は、辰野金吾と葛西萬司が設計し、埼玉県深谷市から鉄道輸送

された瓦と鉄筋造り、3階建て総建坪9,545m2・長さ330mの豪壮華麗な

洋式建築である。

1914年の開業で第1次世界大戦の開戦の年でもあり、中国青島周辺の

ドイツ租借地を占領した陸軍司令官神尾光臣中将が凱旋し、皇居に

参内するイベントに合わせて開業を行った。

アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという

俗説があるが 誠に素晴らしい日本を代表する駅である。

はじめての東京。いま日本のど真ん中にいるのだ。
皇居や丸之内、銀座をちょっぴり散策し右も左もわからず、

迷いながらも とりあえず山手線で新宿駅まで行って見る。

新宿駅に昼頃到着。よく考えたら昨晩から何も食べていない。 
空腹の中、新宿のお店通りを歩いたがおしゃれな店は、料金が私の

財布と合わない。

暫く歩くとドヤ街らしき所で飯屋を発見!【天丼70 円】表の看板に

つられて店内に入ると床は汚く躊躇していると、でっぷりした

おばさんからご注文の声が…小さい声で[天丼1つください」周りを

見回していると天丼が運ばれてきて椀の蓋を開けてびっくり!
私がイメージしてる天丼では、無い!
お汁がかかったイワシの天ぷらが、ご飯の上に乗っているだけ!

これは私が思う天丼ではない。
恐る恐る、「これ天丼ですか」と聞いてみると、怒った顔で

「うちの天丼はイワシ天」と言われ、渋渋少し食べて店を後にした。
途中、デパートの食料品売り場でパンとミルクを購入し 食べながら

西大久保の公務員宿舎へ向かう。途中、迷子になりかけながら、

やっと夕刻伯父宅に到着。これから東京での書生の仕事が始まるのだ!

公務員社宅にしては、小奇麗な屋敷だ。
かわいい小庭を抜け玄関のチャイムを鳴らす。
「ごめんください。福岡のTommyです。誰かいませんか」

つづく

 

この物語小説は、史実を基にしたフィクションです。

次号は、東京生活スタート

※ご意見や間違い指摘、文章がおかしいところがあればご指導/

ご指摘きください。次回をお楽しみに…!     Tommy

 

画像に含まれている可能性があるもの:屋外
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古希のお祝いに「バカラのワイングラス」を戴いた!

バカラ (ガラス)

先日友人から古希のお祝いに「バカラのワイングラス」を戴いた!             

私には、もったいないほどの品だ。奥さんに見せたら、早速居間の

ガラスケースの飾り棚(キュリオキャビネット)の中で一番目立つ

ところに鎮座している。この(キュリオキャビネット)中のものは、

半分は、私のもののはずだが全て奥さんが陳列し全て彼女の宝に

なっている。

 

ちなみに、スイスのガラスのオルゴール、きれいな声でなく鳥のオルゴール、

アンティークのラリックの花瓶、カルチェの香水瓶、ベネチアングラス、

そして奥さん手作りの多くのアンティーク・ドールの中へ今回バカラが

加わった。私は、この大きなLサイズのバカラのグラスで赤ワインを

たっぷり注いで自分流にじっくり味わおうと思っていたのに…

 

ところで、バカラについて聞かれたら皆さんは、どう説明をしますか?

参考までに・・・・・・ 

バカラの紹介(※フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋)       

バカラ (Baccarat)は、フランスのクリスタルのラグジュアリーブランドでパリ

16区イエナ大通り界隈エタ=ジュニ広場にあるバカラの美術館やブティック、  

レストラン・バー等が併設されているバカラ・メゾン・パリの他、パリ8の    

フォーブール=サントノレ通り本店等の店舗があります。製造された商品のうち 

消費者の手に渡るのは6〜7割。残りは品質基準の高さゆえに破棄されてしまう

そうです。フランスの「M.O.F.」(フランス最優秀職人)を50人以上輩出し

ルイ18を皮切りにフランス王室、イギリス王室・ロシア皇室などのヨーロッパ

の王室はもちろん、モロッコ王室・タイ王室、さらに日本の皇室までも、

バカラを注文しています。

商品は、テーブルウェア(各種グラス・デキャンタ等)はもちろん、

アクセサリー・花瓶・香水瓶・置物・シャンデリアなどに及び(時に噴水を

作ったこともあった)

世界的に有名で、製品は日本・アメリカをはじめ世界中で販売されている

 

 

主なシリーズとして

アルクール1825年、アルクール公爵の注文から誕生。どっしりとした

台座を持ち、力強いフォルムが特徴。

コンコルド2001年に誕生。金彩がゴージャス感を出している。

タリランド1937年に誕生。大胆なフラットカットが特徴。

パーフェクション1933年に誕生。フランス語で「完璧」の意。

パルメ1939年に誕生。フランス大統領の別邸ランブイエ城で実際に

使われている。想像上の鳥が描かれている。

ベガ1980年に誕生。織姫星の意味を持つ。

マッセナ1980年に誕生。「勝利の申し子」と呼ばれたナポレオン時代の

フランス軍人にちなんで命名。華やかなカットが特徴的。

ローハン1855年に誕生。アシッドエッチングが施されている。

 

メゾン・バカラ

2003年秋にパリの合衆国広場付近にオープンした、バカラのギャラリー・

ミュージアム、ブティック、レストランの複合施設。子爵夫人の私邸を

改装して誕生した。157灯の巨大シャンデリアや13.5メートルのガラス

テーブルをはじめ、はじめバカラの作品が多数並び、バカラの歴史が

表されている。レストランではグラスにバカラのアルクールが使用されている。

 

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スイスのツェルマット村から学生時代の友人KimiとMarie-Helene夫妻が突然来福!

スイスのツェルマット村から学生時代の友人KimiとMarie-Helene夫妻が突然来福!

11月20日(月)会社に出社すると、朝一番の電話!

「今、福岡にいる。 出来れば会いたい」のメッセージで今日の一日が始まる。

日本滞在中、大阪から足を延ばして44年来の友人が本日、突然福岡に 来てくれた!

電話は、宿泊先のヒルトン・シーホークホテルから。

昨日、福岡に来て私を探していたらしい。 10時半に弊社で合う約束をして待つ!

40数年来の再会。懐かしさでいっぱい! 月日は、過ぎて、皆、髪に白い物が増え始めた。

時間の許す限り、博多の街を案内することになり アクロス福岡から中洲川端の商店街、

ユネスコ世界文化遺産 「櫛田神社」、博多商人屋敷や黒田藩の墓地「東長寺」、

博多の文化歴史の宝庫「聖福寺」を見学したのち、 魚処「寺岡」にて昼食。

昼時で混み合っていたが、店長が特別に 席を取ってくれ、美味しい魚料理を味わうことが出来た。

食後、友人は、唐津へ向かって旅立った。

今夜は、唐津泊まりで 明日は早朝、一路、大阪へとんぼ返り するらしい!

短い時間だったが懐かしい青春時代に戻って語らうことが 出来た。

次は、いつ会えるかわからないが お互いの健康と再会を 誓って別れた。

友人の突然のサプライズに感謝!    Tommy

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スイスからHenrry一家がご来福「その1」

スイスからHenrry一家がご来福!

今を去ること42年前イギリスB'mouthで共に学んだ仲間がスイスから来福!

スイスチューリッヒ在住「ヘンリー一家」を10/14-21迄の8日間福岡県を中心に

見処をご案内しました。

その時の写真とコメント第1部! 10/14-10/16

10月14日(金)福岡空港到着=ホテル到着後博多の夜を散策!

福岡空港到着香港エクスプレスAU163117:20と弊社訪問

IMS松浦」で新鮮なお刺身挑戦と「屋台なかちゃん」体験!

ソラリア・スカイダイニングで博多の夜景で乾杯!

10月15日(土)博多の街を観光バスでお楽しみ後、櫛田神社散策!

Tommy宅でウエルカムパーティ!

10月16日(日)「大宰府」終日観光

梅が枝餅と大宰府観光

 

風光明媚な「光明善寺の庭園」巡りと「水月亭」での昼食

210/17-10/21迄のご案内は、次ページでご紹介!

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